壁なんてない合戸式でいきたい
あなたはFacebookを日常的に利用しているだろうか。それとも見る専だろうか、はたまた登録しただけでぜんぜん開いていないだろうか。
わたしは見る専だ。いくつかのコミュニティに参加するためだけに登録し、コミュニティの投稿をチェックするために月に数回開く程度だ。
わたしがFacebookを開くたび、Meta社はご親切に「友人かもしれない人」をリスト表示してくれる。頼んでもいないのにどうもありがとう。
昨夜、晩酌しながらコミュニティの新規投稿を確認していた。例に漏れず、Meta社からの友人かもしれない人をお知らせいただいた。
どういうアルゴリズムで選出しているんだろう?と毎度首を傾げたくなるラインナップ。上のほうに、大学時代憧れていた先輩の名前をみつけた。
つい気になってタップしてしまった。…30秒後、タップしたことを後悔した。
先輩は今年、会社を立ち上げたようだ。きらめくCEOの肩書き。そして会社設立のお知らせとともに、熱い想いが記された長文の投稿が目に入る。
子どものころはこんな子どもでした。
こんな大変な思いをしてきました。
社会に出て、充実した組織人生活を送ってきたと思っていたが、結婚し、子どもが生まれてまたこんな壁にぶち当たり、今のままでいいのか?という想いを抱くようになった。そこからもこんな葛藤があり、こんなことを感じ………だから、この会社を立ち上げました。
素直にすごいなと思うとほぼ同時に、中学校2年生の、まさに中二病まっただなかの偏屈な自分が甦ってきた。
先輩、そんな大変な過去があったんだ。ぜんぜん知らなかった。だっていつも明るくて、賢くて、人を思いやれる先輩はそんな素振りをひとつもみせなかった。きっとクラスでも「1軍」に属していただろう。そして今もなお1軍の輝きをキラキラと放っている。だって写真に一緒に写っているこの人、わたしでも知っている有名なビジネスパーソンじゃないか。
人知れず悩んでいたこと、目の前が真っ暗になるような絶望経験、逆境を乗り越えた経験、どん底から這い上がる経験。
そういうわかりやすくドラマティックな経験がなければ、人ってなにかを成し遂げられないのだろうか。
わたしも「それなり」につらい経験はしてきた。でもしょせん「それなり」だ。そもそも人生経験や痛みや苦しみは人とくらべられないものだが、隣の芝をみてしまうと一瞬だけでもくらべてしまう。
もしもわたしがこの先、今回の先輩のようになんらかの大きなお知らせをするのなら、過去のつらかったこと、苦しみ、葛藤みたいなものは語りたくないと思った。どんなにその決断・お知らせに紐づいていたとしても、つらかった、苦しかったという見せ方にならないようにしたい。
誰だってつらかった過去はあるだろうけれど、誰もが「壮絶」な経験をしているわけではない。わたしも含めて。
だから「別にそんなに大変な思いを経ていなくても、このぐらいのことなら成し遂げられますよ」のスタンスをとりたい。
∽∽∽
ボディビル界の鉄人、狂気の男・合戸孝二さんがこんなことをおっしゃっている。
合戸さんはトップビルダーだ。耳を疑いたくなる。壁を感じないなんてありうるのか?と。
合戸さんはトレーニングで眼圧がかかりすぎて眼を負傷し、医者から「治療か、トレーニングか」の2択を迫られた際にトレーニングを選んだため、左目の視力を失った猛者である。さらにその後4度も日本チャンピオンの座を獲得している。それでもトレーニングで壁など感じたことがないなんて。
まさに狂気の男だ。
合戸さんはこうもおっしゃっている。
「クロワッサンは軽いから0カロリー」
ボディビルダーは大会出場にあたり、数ヵ月にわたって厳しい減量に取り組む。脂質はカロリーが高いため、脂質を多く含む揚げ物やパン、脂身のおおいお肉なんかは日々の食事からまっさきに外されていく。
クロワッサンなど減量中に食べるものでないことがおわかりいただけるだろうか。そのクロワッサンを減量中でも禁ずることなく、バチバチに絞り上げる合戸さん。合戸さんにとっては減量にも壁なんてないように思えてくる。
わたしは合戸さんのような人になりたい。
「壁なんて知らないよ。イヒヒ」と笑っていたい。
つらいことを「つらい」と思うより「つらいといえばまあ、つらいけど、壁ってほどでもないよね」と捉えられるようになりたい。
Facebookのおかげでまた中二病が再発してしまったが、Facebookのおかげでなかやまきんに君さん&合戸さんの神対談を思い出せた。イヒヒな夜だ。
今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたが最近乗り越えた壁はなんですか?