あたり前のことでもがんばってるのよ、みんな
「明日から3連休ですね。よい連休をお過ごしください」と結ばれたメッセージをみて、世の中は3連休に突入するのだと知った金曜の夕方。
連休は完全に返上している。
なんならこの2週間、今日1日なにをしていたか覚えていないような毎日を送っている。
仕事が重なっていたうえに、友人の結婚式が控えているからだ。
担当のプランナーさんもお忙しいのに申し訳ないが、わたしは新郎新婦よりも打ち合わせしているのではないか?と思うぐらい、余興の件で電話連絡をしている。
協力してもらう友人にもLINEでなく、電話で直接お願いした。
友人から「嫌だけど!余興するようなキャラじゃないお前がやるなら手伝うよ!」とOKしてもらえたときには、涙が出そうになった。
もとはといえば「ごめんちょっとわたしには荷が重い」と断れなかった自分が悪い。しかし過去を悔いても仕方なく、もうやるしかない。
そうわかっていても、今わたしはちょっと無理をしてがんばっているのだと、友人との電話を切ったあとに気がついた。
きちんとした身なりで出席するため美容院にも行く必要があるし、ご祝儀袋ときれいなお札も手配しなければならない。
余興の準備もまだ終わっていない。
遠方の式のため、出席するにも2泊3日がかりである。
余興の道具もくわわって、荷物はスーツケースになるだろう。パッキングもまだこれからだ。
2泊3日で出かけることを念頭に入れて仕事も進めておく必要がある。
だからこの連休も返上している。
∽∽∽
2泊3日の結婚式という非日常と同居しながら、日常は日常で淡々と進んでいく。
どんなに家事をサボったとしても家事がゼロになるわけではない。
「おいしいね」といわれることもない夕飯の支度そして洗いもの。
使い終えられて丸まったティッシュ、ポテトチップの空袋、酎ハイの空き缶…わたしが散らかしたものではないけれど、片づけなければ机の上にお皿が乗らない。
サボれば「明日穿くパンツがない」とぶつぶついわれるが、そうでなければ感謝もされない洗濯。貴重な晴れ間のふとん干し。
そして、どんなに大変でも納期は守る。
あたり前の日常だけど、すごくがんばっていると、ふと思った。
あたり前の日常を送るのは、楽じゃない。
∽∽∽
「今日1日なにもできなかった」と落ち込む人がいる。わたしも落ち込むときがある。
でも、なにもしていないなんて嘘だ。
たとえカップ麺だったとしてもお湯をわかして食べているはずだし、トイレットペーパーが切れたら新しいものを補充しているだろう。
郵便受けから郵便物を、あるいは置き配で届いたものを回収する。不要なDMはゴミ箱に捨てる。
LINEを受信したら、仕事の連絡を受信したら、面倒でも返信する。
本当になにもしなかったというのなら、疲れすぎている自分への休養が必要だったのかもしれない。その状態では、休まなければいつか倒れてしまう。
野生動物と違って、我々人間は生命維持が比較的容易だ。
しかしだからといって日常生活が容易なわけではない。
無意識でも生活を維持するためにしているアクションはたくさんある。
なにもしなかった日も、あたり前のことしかしていない1日も、がんばっているのだ。
みんなもっと、自分はがんばっていると認識したほうがよいと思う。
誰かに理解してほしい、感謝してほしい、そういう気持ちもあるだろうけれど、それをやっちゃうとまたストレスの種だからただただ「自分はがんばっているのだ」と認識する。
人がどう思うかは関係ない。100%絶対評価で。
「わたしはがんばっている」
それだけでも、だいぶ違う。
トイレットペーパー補充した自分えらい。
郵便物回収した自分えらい。
洗濯した自分えらすぎる。
誰にも頼まれていないのに、みずからおこなっているのだから。
えらい以外の何物だろうか、とさえ感じる。
わたしも、あなたも、みんながんばってるよ。
今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたが自分に労いのひと言をかけるとしたら、どんな言葉でしょう?
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