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時間管理が下手だから忙しいんじゃない。引き受けちゃうから忙しいんだ。

10月に入って、立て続けに2人から「生きてる?」「忙しそうだけど大丈夫?」と心配の連絡をもらって、反省している。
「ああ忙しい」とつい思ってしまうことは仕方がないにしても、忙しい人ぶりたくない、「忙しい忙しい」と人には言いたくないなとはいつも思う。

とはいえ「ああ忙しい」とついぼやいてしまう自分に対して、「いやいや、あの人にくらべたらまだあんた全然忙しくないじゃないの」とはツッコまないようにしている。
だってわたしは「あの人」とは違うもの。だいたい自分の頭に思い浮かぶ「あの人」は、10を超えるようなプロジェクトをすべて並行してゴリゴリにまわしているとか、1ヵ月の執筆文字数がうん十万を超えているとか、総じて自分よりもだいぶ「できる」人だ。
自分よりはるか「できる」人と自分が、同じように仕事をまわせるはずがない。だからくらべても無意味。

∽∽∽

自分が忙しくなってしまう原因は2つある。
「自分がやらなければいけない」と、自分で自分を呪縛しているから、そして断れないからだ。
時間のやりくり以前の問題。

うちの夫はよく「◯◯しないといけない」という。
たとえば「明日履くパンツがないから洗濯しないといけない」など、日常の小さなことがほとんどで、たまに重要なものも発生する。

…それはあなた(夫)が?わたしが?それともわたしたちが?
主語がないから、具体的にお願いされてもいないのに、なんだか自分がしなければいけない圧迫感を抱く。そして結局お願いされてもいないのに自分が◯◯を片づける羽目になる。
夫からは「ありがとう」と感謝されるが、それでも自分の予定は多少なりとも狂い、ありがとうのひと言では相殺されないもやもや感が残る。
(…なおパンツの件に関しては、パンツを数枚買い足すことで事なきを得た。)

別に夫に限った話ではない。
誰かが「◯◯をしないといけない」と主語なく発したとき、「あ、これはひょっとしてわたしがすべきこと?」と捉えてしまうクセがある。
たとえるならクラスの学級委員とか係決めのときに誰も手を挙げないあの気まずさに近い感覚だ。わたしはその気まずさにどうにも耐えられなくて「わたしやります」と手を挙げてしまう少女であった。
まじめなんかじゃない。あの空気への耐性がないだけだ。

話を戻すと、もう本当はいっぱいいっぱいなのに、そして頼まれてもいないのに、勝手に気まずさを感じて「わたしやります」と手を挙げるから問題なのだ。
「いつもお世話になっているし」とか「まあなんか、これも経験しょ」とか、理由をこじつけて自分を無理やり納得させてね。

最近、「自分が勝手に手を挙げて、自分が勝手に追い込まれているだけだ」とようやく気づけたので、心のなかで主語を強く意識するようにしている。

それは「誰が」するんでしょうか?
「あなたが」するんですよね?
「わたしは」全部はできないけど、手伝うぐらいならできますよ。
「わたしは」今月は無理です。来月なら大丈夫です。
「◯◯さんが」適役ではないでしょうか。

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ここまでは自分から手を挙げてしまうパターンだったけれども、手を挙げなくても「えいみさん、お願いできる?」といわれるとまた断りづらい。

大して忙しくもないのに断るのかよ、とも思われたくないし
断ったら忙しいアピールみたいになってしまうのも嫌だ。
こうして書いてみると、実にわがまま。

ていうか「断りづらい」と思う時点で、やりたくないのだ。
迷惑をかけたくないとか、みんなだって忙しいのに自分ばっかり忙しいアピールするのかっこ悪いとか、後ろめたさがあるから断りづらいだけで、なにも後ろめたいことがなければ、断りづらいと感じる前にさくっと断れるんだから。

そういう後ろめたさから豪華に理由を盛りつけて断りたくなるのだけれど、正直「理由」は要らない。
必要なのは代替案とか譲歩案だと、先輩から教わって気づいた。
代替案と譲歩案を示せればこちらも断る抵抗が薄れるし、あとは相手の判断となる。
ボールは早く手放せ。手放したボールのことを考えるな。

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「なぜいつもこんなにやることに追われているのだろう」と、ずっとうなだれてきた。夫に対してもっと手伝ってくれよなどとイライラもしていた。
時間のやりくりもたしかに下手くそだ。

だけど、そんなキャパもないのに自分で自分を忙しくしていることがそもそもの問題。時間のやりくり以前に。

勝手に主語を「わたし」にしない。
断るときは代替案と譲歩案。
一度断ったらもう振り返らない。

そういうわけで、今夜は仕事の延長戦です。合掌。



今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたが最近断ったことはなんですか?

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