感情のハンドルを握りかけている
旅行から帰ってきて、仕事に復帰して、1週間が経とうとしている。
昨夜やっと最初の旅行記を書けた。
写真を振り返りながら旅をもう1回体験しているようで、書いていてすごく楽しかった。今日もそんな楽しい旅行記を書きたかったが、残念ながらそうはうまくいかないみたい。
旅行前に「ジーニアス」と名づけたマイGPTを作成し、これで仕事復帰してから執筆が楽になるぞとほくほくしていたが、ジーニアスの出番がなかなかやってこない。
連絡、打ち合わせ、修正対応に追われて、執筆になかなか手をつけられない。
さらに、目の前にある執筆もジーニアスを使わないほうがスムーズに進む案件だ。残念である。思わず舌打ちが出てしまった。
自宅で黙々と仕事をしているときのわたしはとにかく舌打ちが多い。
数時間のあいだにめちゃくちゃメッセージが溜まっているのをみて舌打ち。
「最初からそう言っといてくれよ!」と思いたくなる修正依頼をみて舌打ち。
コーヒーを淹れにいったキッチンで、シンクのお皿の山をみて舌打ち。
でもね、旅行から帰ってきてから、舌打ちが減ったように思う。
次の旅行記で(覚えていたら)書くけれども、旅行ですこしふれてきた宮沢賢治や上杉鷹山の言葉が、頭の片隅に居ついて離れないからだ。
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中学か高校で習って心に残っていた「雨ニモ負ケズ」を今あらためて読んでみて本当にその通りだと思うし、上杉鷹山がいった「なせば成る なさねば成らぬ…」にぐうの音も出ない。
舌打ちしても、文句をいっても、仕方がないのよ。
舌打ちして、文句をいって、やりたくないことをやらなくてすむのなら、穏やかに過ごせるのなら、わたしは日に何百回、何千回と舌打ちして文句をいうさ。
でも、そうじゃない。
やりたくなくてもやらなきゃいけないときはあるし、それなら腹括って為すしかないし、為さねば成らん。
そういうことに対して瞋かっても仕方がない。自分にできることをするしかない。
穏やかでいられないことを何かのせい、誰かのせいにするんじゃない。
そんな小さなことに平穏を乱されている自分が小さいと知りなさい。
自分がどう在るかは、自分で決められる。
そんなふうにいわれているような気がしてね。
誰かの言葉やなんらかのできごとに反応して、思わず大きくハンドルをきるから車は大きく揺れるわけ。
冷静に状況を見極められれば、最小限のハンドル操作ですむし車も揺れない。
自分の感情のハンドルを自分で握る感覚を掴みつつあるかもしれない。
ということで、明日も粛々と働きますね。
週末だけどね…週末は休むって決めたばかりなんだけどね…
日曜は休もう…。
為せば成るさ、きっちり為せばね。
今日も読んでくれてありがとうございます。
最近あなたの心に残ったことばは、なんですか?