無意識のループ、意識のルーティーン
昨日も締切、今日も締切、1日おいて明後日も締切。
わたしは1日をルーティーン化したいと目論んでいるのだが、こんな毎日の繰り返しになるなら疑問符だ。
たった2日でもタイムループ感が否めないのに、ルーティーン化したらわたしの人生メビウスの輪になりそう。
「ルーティーン化した毎日」といえば聞こえはいいが「似たような繰り返しの毎日」というと一気に充実感がなくなるのはなぜだろうね。
メビウスの輪は後者だろうし、両者は似て非なるものなのだろう。
両者の違いは「意思」の有無だろうか。
ループには意思がなく、ルーティーンには意思がある…。
タイムループからの脱却といえば、わたしの大好きな映画がある。
『MONDAYS』だ。
何度も「同じ1週間」を繰り返すのだが、すこしずつ人を巻き込み、繰り返しに抗い、同じ1週間も徐々に変化しはじめる。
タイムループに気づいたときから、時間の動き方が変わる。
変わりたくなくても変わってしまうことも生きてりゃたくさんあるけれど、
変わりたいのに変われないことも山ほどある。
そして変えたいのなら、変えなければ変わらない。
「超大作」というよりはだらっと観られるゆるさがいい。
わたしたちの日常だってそんなもんだろう。
だらっと変わっていくものなのだ。
似たような毎日も、時間をかけて。
一方で、変わらない毎日の「美しさ」もある。
変わりたくないことが変わらないように
激流に呑まれないように
日にくさびを打ち込んでいくように過ごす。
これはこれで「美」であろう。
同じ時間に起き
同じ手順で朝の支度をして
同じ時間に出かけ
同じようにていねいに働き
同じように夜を過ごし
同じ時間に眠りにつく。
滞りなくさらさらと流れる清流のように。
わたしが目指す「ルーティーン化した日々」はこんな毎日だ。
(まだ作品を観ていないから、完全にイメージ先行だけれども)
無意識だったことが意識的になり
意識してやっていたことはだんだん体にしみついて無意識になる。
どちらにせよ、じぶんでじぶんの毎日を手仕事的につくっていきたいなあと思う木曜の晩である。
今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたはどんな毎日を望みますか。