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前向きな目的なんかなくていい。嫌なこと全部、目的になる
今年の目標設定に失敗したと、数日前に書いた。
今週末に時間をとって立て直すつもりだからまだ目標は白紙に近い状態だが、年始に立てた目標と今回立てる目標は、たぶん内容がけっこう変わると思う。
「目標は手段であって目的ではない」
このひと言はけっこう厄介者である。目標は目的を達成するための手段であり、目標をを立てるなら目的を明確にしなさいという。
わたしはこれについて、半分合っているけれど、もう半分はそうでもないと思っている。
なぜなら目的は大きく2種類あるからだ。
前に向かっていくものと、不快を避けるもの。
「半分合っている」といったのは、目指すところが明確なとき。
「そうでもない」のは、ひとまず今の場所から脱出したいとき。
「インターハイで優勝したい」とか「ムキムキになってモテたい」は目指すところがわかりやすい。
「英語を話せるようになりたい」は、なぜ英語を話せるようになりたいのか、もう少し掘り下げて考えましょう、とよくいう。
逆に今いる場所から脱出したいっていうのは、簡単にいえば嫌なこと・ストレス源をなくしたいということだ。
肌荒れ、便秘、汚部屋、パワハラ上司、低賃金、忙しすぎて自分の時間がないこと…
不快とストレスについて、掘り下げて考える必要はないと思っている。
「嫌な気分になるから」それだけでじゅうぶんな目的だろう。
もし前向きな形に言い換えたいなら「快適に生きたい」でよいじゃないか。
そのための目標は「ストレス源を排除する」だ。
∽∽∽
目標、それも今年の目標というと、なんとなく前向きなものでなければならない気がする。
それは目標が、山や階段のてっぺん、前方の旗を目指して進んでいくイメージでよく描かれるからだ。
深い穴からとりあえず地上に這い上がるイメージや、余計なものを排除してシンプルにしていくイメージで目標が描かれているのをみたことがない。
だけど、そういう目標があったって別に何らおかしくないし、ストレスフルなこの時代においてはそっちのほうが描きやすいんじゃないの、と思う。
第一、地上に出てこないことには山登りもできないんだから。
将来どうしたいかわからないとか、目標がわからないという人も少なくないけど、今嫌なことなら1分考えるだけでもいくつか挙げられるはずで、とりあえず嫌なことをなくすことを目標にしたらいいと思う。
残念ながら嫌なことはなくしてもなくしてもわいてくるし。でも逆にいえば目標設定に困ることもない。
選びたいもの・目指したい山がとくにない代わりに、選ばないものを選ばずに歩いていく道は、どの山につながっているのか、はたまた海につながっている可能性もあって、想像していなかった景色を拝めることもある。
だから、何かを目指す目標設定じゃなくて、嫌なことから抜け出す・嫌なことを選ばない目標設定があっても、いいんじゃないの?と思う。
今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたにとって今いちばん嫌なことはなんですか?