正直な奴が最後に笑うんだ
先の週末にイベントが終わり、3連休が終わった。
「大人の文化祭」と称したそのイベントで、わたしは卓上カレンダーをつくって出展した。
構想段階から含めても制作に1日もかかっていないが、その時間は長らく忘れていた創作の楽しみを思い出させてくれた。
この世の中には実にさまざまな創作物が存在する。わたしにとってもっとも身近なのは小説と音楽だろう。
残念ながら小説は読んだそばからストーリーを忘れていってしまうけれども、音楽に関しては通学中も授業中も通勤中も、耳が空いていればつねに、好きな曲を1曲リピートで聴き続けるクセにより本の内容よりかは記憶に残っているものが多い。
そのうちの1曲に、ELLEGARDENの『金星』がある。冒頭の1フレーズの衝撃たるや、心臓のどまんなかに太い杭を打たれたようだった。
このnoteは仕事とは違って完全に自分の自由に書ける場所であり、嘘は書いていない。
けれど、本当に書きたいことを書けているか?の問いに対しては、答えがNOの日もある。
つまり、正直な文章を書いているけれども、自分の心には正直でないときがある。
もともとわたしが誰かに読まれる文章を書く原点は、友人との手紙のやりとりだ。たったひとりに宛てたごく私的な手紙。
親や学校生活に対する不満をエネルギー超集中させて書いた魔貫光殺砲ぶっ放しのような文章や、コピーライティングにしては長いが詩というには短い、ちょっと気の利いたフレーズに拙いイラストを添えたものなど、内容も気の赴くまま。
この世界中の誰にも見向きもされなくても、あなたさえ読んでくれればそれでよい。いいねもスキもない世界で、恥ずかしいとか共感とか、表現を妨げるノイズをまったく感じることなく自分に正直に書いていたあの感覚を、取り戻したいと思った。
しかし学生時代からだいぶ年齢を重ねたいい大人がすることだ。
「恥ずかしい」
「中二病」
「おまえのポエムなど誰が読むのよ」
これら「エモい」と紙一重の冷ややかな声があることも知っている。
とはいえ、あのアーティストもこのアーティストも、いい年こいて(失礼)クサい詞書いてるじゃないの。
アーティストがよくてわたしたちがだめだなんて、そんなルールはないんだから。
誰にでも表現の場がひらかれた一方で、
他人の♡や炎上が気になって表現しにくくなっている。
公の場で書く以上、炎上には多少気を遣ったほうがよいだろうが、♡の足かせは要らない。
もっともっと自由に正直に。
正直な奴が最後に笑えるんだから。
今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたが好きな創作はなんですか?