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自己肯定感なんていらない

自己肯定感ブームは下火になりつつあるのかね。
わたし「自己肯定感」ということばが気に食わない。

肯定の反対は、否定。
100かゼロか、白か黒かの2択で、人の心が割り切れるわけないだろう。

ジャッジできるわけないものを必死に100にしよう、まっ白にしようとして、できなくて落ち込む。
30じゃだめなの?グレーじゃ納得できないの?

ただでさえサヴァイヴな毎日なのに、自分で自分の首を絞めてどうするのよ。

∽∽∽

自己肯定感が低い人というのは、自分を過信しているのではないのかな。
ずいぶんと前はわたしもそうだったけれど、いつの頃からか少しずつ諦めたよ。自分を。

今日は仕事をがんばろうと思ったのに、ゲームで時間を溶かしてしまった。
メンタルの調子が悪い。
夫にキツく当たってしまった。
今日も早起きができなかった。
今日もジムをサボってしまった。
また忘れものをしてしまった、いつも探しものをしている、部屋も散らかっている、水まわりも汚れてきた、洗濯機から服が溢れている。


…なんて自分はだめなんだ。


いやいや。あんたもともとだめな人間でしょ。
毎日勤勉に働き、メンタルの調子もよく、夫にもいつも仏の心で接し、早起きとジムを欠かさず、忘れものもしない、身のまわりはいつも整理整頓されている、家の掃除も洗濯も行き届いている。

そんなスーパーマン状態が今までの人生で一度でもあったかね。
一度もないのに、できると思い込んでいる謎の自信はいったいどこからわいてくるのだろう。
自己肯定感が低いことよりも、その謎の自信のほうがよほど厄介だと思う。

SNSやYouTubeで家庭も仕事もバリバリこなすビジネスパーソンをみたから?
身近にそういう先輩や仲間がいる?
だから自分もできるんじゃないかと思ったのかしら。

見聞きしたといったって、本人に365日四六時中張りついているわけじゃないでしょう。
見える部分しかみていないし、とくにSNSやYouTubeにいたってはそういう部分だけ「見せられている」のだよ。


…話を戻そう。
「自分はだめだ」と自己否定してしまうのはきっと、「本来の自分はできる、こんなはずじゃない」と自分を過信し、幻想をみている。

それじゃあ苦しいばかりよね。
起きているのに悪夢にうなされるような。

∽∽∽

仕事をしなければいけないのにゲームで時間を溶かしがちで、早起きも苦手で、ジムも家事もなにもかもサボりがちで、ほとほと嫌になるけれども、でもそれが紛れもなくデフォルトでリアルな自分である。

「今日もゲームで時間を溶かしてしまった」
→ああ、いつもどおりですね。
「夫にきつく当たってしまった」
→あるあるだよね。
「ジムをサボってしまった」
→むしろサボるのがあたり前だからね。


こうやってデフォルトを何事もなく引き受けられるようになると、できたときにはプラスにしかならない。

仕事に集中できた→グッジョブ!
夫にやさしくできた→いいね!
ジムに行った→最高ですね!

「できる」があたり前だと、なんの感動もないもん。
できなくて上等じゃないか。
100点じゃなくても、10点だって20点だって喜べるのだから。


自己肯定とか、自己否定とか、そんなジャッジは必要ない。
自分のデフォルトを見定めさえすれば、自分で自分の首を絞めなくてすむ。
自分に夢をみない。
だめな自分でサヴァイヴしよう。



今日も読んでくれてありがとうございます。
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