自信はあたり前と奇跡に眠る
「自分に自信を持てない」という人は多い。
では自信ってなんだろう?
自分に自信を持っている人というと、ドクターXの大門未知子が思い浮かばない?
「わたし、失敗しないので」っていう。
わたしたちは自信を「失敗しない確信、なにかの能力やスキル、知識が人よりも高く秀でているとの認識と確信、なにかを完璧にできること」と捉えていないだろうか。
だとしたら、そんなものなかなか持てやしないだろうと最近思い至った。
自信って本当はもっと「あたり前」のことに潜んでいるんじゃないか。だけどあたり前だから自信が持てない。
たとえば毎日車で通勤している人のなかで「車の運転に自信があります」という人はどれだけいるだろう。何年間も事故を起こさずゴールド免許のドライバーですら少ないのではないだろうか。
たとえば業務で日常的にPCを使う人のなかで「タイピングに自信があります」という人はどれくらいいるだろう。それなりに速く打てる人が多いと思うけど。
さっき「認識と確信」と書いたのは、あたり前にできることは、それが実は秀でていることだと認識しづらいから。
毎日運転していてゴールド免許なのに車の運転に自信がない。
毎日仕事でPCを使っているのにタイピングに自信がない。
こんなふうじゃ自信なんて一生持てないように思えてならない。自信の種は自分のなかにもうあるはず。認識できていないだけで。
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それでも「そんなあたり前のことに自信なんて持てるわけないだろう」と思うのなら、「ああ、ありがたいなあ」と感謝したい人の顔を思い浮かべてみるといい。
いつも味方でいてくれる友だち、困ったとき助けてくれる先輩、毎日ごはんをつくってくれる家族、散々グチを聞いてくれた挙げ句べろんべろんになるまで呑みにつき合ってくれる同僚、自分のことを本気で叱ってくれる上司、とにかく癒やしてくれる愛犬・愛猫・愛鳥…。
誰かしらなにかしら、あるはずだ。
そういう人たちの存在は、自信にならないかな?
わたしは、なる。というか、なった。
助けてくれる人がいる、話を聞いてくれる人がいる、厳しいことも本音で言ってくれる人がいる。「だからわたしは大丈夫」と。
この地球上でそんな人たちに出会えて、そういう関係を構築できるなんて、ものすごい確率よ?そんな奇跡、自信に値するでしょう。
血反吐を吐くような努力をしなくても、どん底から這い上がる経験をしていなくても、今あるもので自信はきっと持てる。
わたしも不安に呑まれそうになったら、思い出したい。
今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたが自信を持てることはなんですか?