わからないことの、何が悪いのか『武士とジェントルマン/榎田ユウリ』
他人を理解しましょう、なんて言われるたびに心のなかで舌を出したい気持ちだった。
自分のことをどれだけ主張しても、この子は何を言ってるんだ…?という感情がありありと向けられると色々と諦めてしまう。
そのくせ自分のことを理解されない、わかってもらえないと喚く。
結局自分のキャパシティ内にあることしか理解しようともしないくせに、自分が理解してもらえないと敵と認定してくる。
そういう人たちに多く出会った。
また、何がめんどくさいってそういう人たちの中では共感や同意こそがすべてなので、相手にその姿勢を示さないとヘソを曲げられることもあるし、自分の主張に賛同しない不愉快なやつ、コミュ力がないやつという見方をしてくるのだ。
だから私は基本的に『他人と他人はわかりあえない』という思想を強めに持っている。
榎田ユウリ先生の作品は徹底して『他人同士はわかりあえない』ことを書く。
しかしそのうえでわかりあえないながらも寄り添うことができる、という人々の交流を瑞々しく描いてくれる。
人間が未知の感覚、特徴を持つ人間と出会ったときのリアクション。それに戸惑いながらもその人をその人として扱い、接する様子。
それらは私が欲しているもので、日々足りないと思っているものでもある。
私は他人がわからないときがたくさんある。
休日に一歩も外に出たくないとか、家族でさえ友達でさえ会うときに気力を使うこと。
一人で過ごす時間が何より幸せで、何人たりとも邪魔されたくないこと。
この逆のことを良しとする人がわからないし、私のこともわかってもらえない。
友達や恋人になることの前提には、まず人として好意を持てることが必要だと思う。
榎田先生の作品には『わかりあえなくとも他人に好意を抱く』人間がたくさん出てくるのだ。
その姿にとても安心してしまう。
大丈夫。わかりあえなくても人に対して好意を抱けるし、関係を築くことができる。
私は誰もわからなくても、わかってもらえなくても大丈夫だと、肩を抱いている気持ちになれるのだ。
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