テスカトリポカを読んで(まだ読んでる最中)

まず初めに、ネタバレになるかもしれないので、これからテスカトリポカを読むよって人はご注意ください。
あと、うろ覚えなところとかもありますから、記載に誤りがあると思うのでご容赦ください。

では、本題に入りますが、なぜ感想文みたいなのを書こうかと思ったかというと、覚えておきたいなって思うことが書いてあったからです。

この本、メキシコのカルテルの話から、スペイン人に破壊されたアステカ文明と先住民、メキシコに絶望して日本に来たけど不幸の末破滅した女、マフィア、闇医者、保育士、ヤクザなどなどグローバルな規模で悪いこと思いつく人たちがわんさか出てきてめっちゃおもろいのですが、主要人物のうちの一人、コシモ君がとある哲学のような感性をもっているんですが、これがめっちゃいいなと思って今書いてます。

その哲学みたいな考えというか視点についてなんですけど、「じかんがゆうひにしずんでいる」など時間を主語として、生命そのものとして捉えているんですけど、これにめっちゃすごって思いまして(語彙力やばい)。

まぁ、詳しくは「テスカトリポカ」を読んでほしいんですけど、一般的な言い方なら「夕日が沈んでいる時間」とか「夕日が沈む時間」じゃないですか。つまり普通の概念だと時間は主語にならないじゃないですか。
まぁ、英語だったら「It takes me 30 minutes to arrive the town.」とか言いますが、これもITは別に時間を指してなくて、「街に着くのに」をITを代入してるわけですよね?(合ってる?)

つまり、何が言いたいかっていうと、時間を主語として考えると、時間を大事に使おうって気になるわけですよ。
え?何が言いたいか全然わかんないって?
だから、例えばですけど、今僕はSNSに時間を溶かすのをやめたいんですよ。仕事から帰ってソファで「ふぅ。。。」と一休みし始めて、何気なくSNS見ちゃうじゃないですか(スマホ依存症)。気づいたら30分も1時間も経っちゃたりするじゃないですか。これほんとうざくて笑
そこで、そこでですよ、時間を主語にするんですよ。(は?)

はい、仕事から帰ってきました。自分にはいまフリータイムがあるわけですよ。何をするにも自分の選択次第な自由に使える時間が。その「時間ちゃん」をソファ座って一息つきがてらSNSにしちゃうのか。それとも将来のためにこの「時間ちゃん」を資格試験のための勉強に変えて、延いては自分の知識に力に糧にするのか。
この時間ちゃんを使った結果何を生み出すのか。時間ちゃんが何に成るのかって考えたらって考えたら時間大事に使おうって思えたんですよ。

僕ってほんとうに色々だらしなくて、時間を無駄遣いすることめっちゃあるんで、この「時間ちゃん」を良いものに変化させたいって考えるとなぜかその責任感とかにプレッシャー感じて、結果投げ出したくなるんですけど(オワタ)。
でも、「時間ちゃん」を主語に変えて物事考えたら、時間の使い方を変えられそうな予感がするので、ちょっとこの考えを意識して過ごしてみたいと思います。

あのー、自分の備忘録的な、メモ的な内容ではありますが、もし読んでいただいた方いらっしゃいましたら、ありがとうございます。あなたのお時間さんをちょっとだけつたない文章にしてしまいましたが、感謝します。感謝以外はできません。ありがとうございます。では。

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