既に好きな事を職業にしていた私が転職を決めたわけ ①
自分の好きな仕事がもしかしたら何か他にあるぞっと思った話
もっとエッジーの効かせた人間性だったのに、
仕事があまりないことにより、自信を失くし、
人に合わせるようになり、もっと 空回りし始めた。
私は小さい時から、ここと、こことここを縛ってとオリジナリティにとんだ髪型を母親にねだりそれを噴水と名つけ、写真証拠在り😆
手芸が趣味祖母に既製服にここにアップリケを着けてとか、水玉の段々のスカート作ってとお願いする。
自分の部屋のインテリアを1週間に1回は模様替えをし、
ダンスはいつでも好きなとき母親曰く、スーパーで好きな曲がかかったら、一旦止まり、踊り出していたらしい。広い場所みつけてはぐるぐるまわって、グワイ悪くなる始末。母の知り合いがオルゴールをくれた、。私は回らないで、これみて楽しんでねと言うことらしいが。
全く私の利にはかなわない、だって自分が動くときの感覚が😇なのだから。
私は高校生のときから、まだやりたい職業名が分かる前から 抽象的だけれどこの3つだけは胸の内 確かだった。(まあ周りにも公言してたけど)🥰
自分の身体1つで何か出来る人、芸術家に憧れ
人生を掛けて自分の感性を磨きたい。
自分は自分のボスになるって決めていた。
(私は、職業=自分の一部という考え方で、アーティスト業の人は多いと思いますが、 ずっと死ぬまで好きなことして探求し続けるという考えにがあって)😍
この前置きは自分の本来の姿がどうであったか、読んでもらっている人に知って貰うため
コロナの前から少し自分の今まで好きでやっていた自分の仕事に
これをこのままやっていくのだろうかという悩みが少しずつ表面化してきて,
それと同時に、今少しの自然を求めてパリ郊外に引っ越して来たけど多分ここに長くはいないだろうという気持ち。
私は、東京で空間デザインを学び、
憧れていった東京実際住んだらそんなに楽しくなかったので、渡仏
パリのインテリアデザインの資格を取りました。舞台美術やイベントの内装がやりたいのに
インテリアやった方が将来良いだろうとそのときの配慮、、、!?
実際デザインや、絵を描くこと、素材等を決めたりするのは大好きなのに、
デザイナーのアシスタントで待っていたのは嫌いなパソコン作業、現場には全く連れていかれず
1日中事務所でパソコン向かって全く楽しいとおもえない図面を書く。🥶
大きな展示会の美術のアシスタントもしたけれど、描いたパーストレースされ、アイデアとも、そこのボスのものになる😮💨
私は高校生のところでも書いたように、自分のボス
そしてどちらかと言うと、なんでもAからZまで自分で携わるのが好きです。
なのでやはり私は舞台美術をやっていました、
フリーランスでプロジェクト事に動きますが、自分の創作活動と同時に,何本ものわらじを履きながら苦労の時期も長く続き、それでも好きなことをやっていきたい。そう思っていました。
舞台の仕事では結構この大変さがデフォルトって感じだったんですね。まだこの頃はそれがお知らせとも分からず、私の関わるプロジェクトが、中止になったりしても、
なぜかものがうまく行かないのは能力の足りなさ、不器用さがあるのかなど、、、
それがサインだっていうのは全くわからないで、ずっと頑固にその時やりたいと思っていたことを続けていた。
- ハードモードの考え方ー🙄
今頑張ればいずれ良くなる。 そして今の仕事がそんなにと,,,,,思うのはうまく行ってないからって頑固に思ってたんですよね、
私は結構厳しく教育されていたので、英語の辞書は手垢がつくまで調べる 母の言葉、私は感で行くタイプ)でこういう面があるんですよね。抜けてるようで、頑固、
もっとエッジーの効かせた人間性だったのに、
仕事があまりないことにより自信を失くし人に合わせるようになり、もっと 空回りし始めた。
でもある時期から、なんか私これ違うかもしれないというきっかけがいくつかありました。
そのひとつ 、周りのアーティストの話、自分のデザインしたもの、携わっている仕事を熱くかったっているのを見て
私もそちら側のひとになると思っていたのに、、仕事イコール人生
もっと熱くなるような面白いプロジェクトに関わりたい、、
そして ある画家の知り合いが何年か前にインスピレーションが天から降りてくるって言った時に、その事をすごくイメージ出来て、 羨ましくもあり、そして油絵画家だからなんか、そのまま自分をキャンバスに塗ってる感じがあるな、空間デザインだと距離感があるなと思っていた。もちろんこの方のキャンバスに向かってる年数は私とは比べものにはならないぐらいあるのだけれど、でもこの自分の魂を使ってない、自分の能力をフルにつかってない虚しさが私にはすごくあった。
コロナにはいる前、私が携わってきたプロジェクトのなかで大きい方の話があったのにコロナによってなくなり、冒有名ブティックのアートディレクターをしていた方と仲良くなり
1回仕事をもらって、それを期に 自分と一緒に仕事をしたいと言ってくれてデュオで仕事しようということになっていったんだけれど。段々彼といる日が多くなっていくと。ん??ざわざわする。凄い取ってくる距離感が居心地が悪い。
それで、その人との今まで自分自身ではできなかったであろうプロジェクトのある未来より自分の自由を選びました。
その半年もしないでコロナが始まったけれど
そこでもう???何か違うぞ?他に何かあるかもしれないっと完璧に思い始めてきた、
この悩みの時期まで、一切自分のやりたいことが分からなくなってしまったということがなく、ここまで来て スコーンとどうしていいかわからなくなってしまったんです。
ソウルメイトと出会い膿がでて 思ったより自分と調和してないことが分かったんです。
いよいよ強者が入った‼️
~どうしてこの人がソウルメイトだと思ったのか、どういう風に膿を出されたのか という話しは折々話すとして、
それでは ごきげんよう🎵
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