今日ときめいた言葉37ー内館牧子さんが言われた言葉「あなた、やめないと私みたいになっちゃうわよ」
(2023年4月13日付 朝日新聞 “一語一会”「あなた、やめないと私みたいになっちゃうわよ」脚本家 内館牧子氏の記事から」)
これは内館さんが会社で働き続けることに疑問を持ち始めていた時、先輩女性社員から言われた言葉だ。「根無し草になる」という怖さが先立ち、大手企業をやめて生きていくということに決心がつかずにいた時である。
内館さんは、私よりちょっと歳上だけど、ほぼ同じ世代だ。だからこの言葉を言った先輩の思いも、その時の内館さんの気持ちもよく分かる。当時の私も同じだったから。いつ辞めようかいつ辞めようかと常に考えていた。
「私みたいになっちゃうわよ」には、その先輩自身への自嘲とも後悔とも取れる思いがにじみ出ている。でも、この一言は、迷っていた内館さんの背中を押すほどインパクトがあったのだろう。
当時の女性社員の仕事と言ったら、まさに「ブル・シット・ジョブ」だったと思う。やりがい?そんなものまったくない。達成感?達成すべき目標など与えられてない。女性社員はそんな次元では働いていない。会議など出たこともない。だから「仕事で生きていく」なんていう気持ちは持てなかった。
日々瑣末なことを消化していくだけだ。組織の中にいるときは気にもされないが、いないとなると組織の皆んなが途端に不便を感じるような存在。長く勤務していた女性社員はそんな存在だった。どんなに有能と思われる女性社員でも、無能な男性社員の下だった。
決して居心地がよかったわけではないが、長く勤務してしまって歳もとって今さら転職もできない。今もらっている給料の額が次の会社でもらえるという保証もない。その上、長く働いたけど、証明できるスキルや能力、資格があるわけでもない。全て今の職場内でのことだ。結果、もう自分はこの会社に居続けるしかないとの結論に達する。
それでも、私にはずいぶん羨ましく思えた。内館さんが働いていたのは、私と違って大企業(三菱重工業)なのだ。私が働いていたのは、今で言う「スタートアップ企業」みたいなものだ。利益が出て、採算が取れるかを検証しているような実験企業だ。
大学時代就職活動など一切せず、新聞の求人欄で探せばいいやとたかをくくっていたら、思うようにいかず、この会社に先に就職していた友人に拾ってもらったのだ。自業自得と言われればそれまでだ。ただ、日本の全損害保険会社が出資して設立した会社だから、そう簡単には潰さないだろうとかすかな希望を抱いていた。男性社員は全て各損保会社からの出向だった。
いっそのこと、この損保マンの誰かと結婚してしまえば全て解決するんじゃない、なんて安易な考えも頭をよぎったこともある。実際、そうした女性社員もいた。私にはできなかっただけ。
あの頃、「今のままでは終わりたくない」という願望があったけど、何がしたいのか明確なアイディアがあったわけではない。大学院に入って勉強のやり直しもしたかった。自分の人生は、「すべて中途半端」という悔いが残っていたから。でも、いろんなことに手を出しては、やっぱり中途半端に終わっていた。そこが、才能のあった内館さんと大きく違うところだ。
内館さんは35歳で辞めたようだが、私は26歳で辞めた。海外ボランティアの日本語教師に応募して、2回目の挑戦で受かったからだ。でも職種は、日本語教師ではなく秘書だった。「秘書でもいいや」今の状況が変えられるんならと、この偶然に乗ることに。本当にいい加減。
結局自分という人間は、「人生このように生きる」などという確固とした生き方をするような人種ではなく、その時々の運やチャンスを選んだり、捨てたりして、少しでも良さそうに思える方向にフラフラと進んできただけなのだ。だから一貫性がない。
最後の17年間は自分のためではなく、娘たちの教育費を稼ぐために働いた。日本の教育システムではない教育システムで、娘たちを教育したかったから。だから、それが目的と言えば目的だったかもしれない。目的は達成された。お金を稼いだだけの17年間だったけど、その間社会人入試で大学院に入り、修論を書いて修士号を取ったことがせめてもの慰めである。
だから下記に書かれた内館さんの言葉を読むと己の軽さを恥じるばかりだ。
内館さんは次のように語る。
「夢のために、やめて後悔する人もいっぱいいる。だからJポップの歌詞のように前向きな応援はしない」
でも、将来を迷う人への助言として、
「自分で決めること」
そして、見る前に跳ぼうとしている若者には、
「覚悟はできているのか?」
と問いたいと。
身の引き締まる言葉だけど、今自分の人生を振り返ってみて、結局自分は何がやりたかったのかわからなかったし、どう生きたかったのかもわからなかった。だから心から満足していない自分がいる。もっと別な生き方があったかもしれないと時々考える。だからと言って別な生き方ができただろうか。
好むと好まざるとによらず、生きてきた過去は受け入れざるを得ない。それは変えられないものだから。大谷選手のように「27歳でWBCに出場し、MVPを取る」と言う生き方は私にはできなかった。
でも引き際は、内館さんが書いているようでありたい。
知進知退 随時出處
(進むべき、退くべき時を知り、いつでもそれに従う)
散り際千金、見切り千両
(みっともない様をさらさない)
心して、残りの人生を過ごしたい。
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