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「食べることは生きること、生きることは食べること」ー「誰かのために」の思いがあればこそ。
今日から夫は放浪の旅に出た。車中泊しながら山を登り歩く。行ったら1週間は戻らない。その間、一人きりの生活を満喫する。
もちろん食事などまともに作らない。かなり自堕落な毎日を過ごす。(これ、内緒だけど😅)
で、フッと思う。今後一人きりの生活になったら私の食生活はどうなるのだろうか、と。
きっと今のような情熱(⁉️)をもって食事を作ることはないだろうなと思う。そんな気力は湧かないと思う。例え質素な食事でも「誰か」がそれを食べてくれるという思いがあるから、作る気になるのだ。
その「誰か」がいなくなった時、煩わしいと思っていた食事作りが「誰かのために」という思いがあったから、続けてこれたのだと気づく。
日頃、そんなこと思っても見なかったけれど。もちろん自分だけのために美味しいものを作って食べることに喜びを感じる人はいるだろう。
でも、私のようなズボラな人間にとっては、それなりに規則正しい日常が送れ、食事を作ってこれたのは、この「誰かのために」という思いがあったからなのだ。
だから、この「誰かのために」という思いは、その日その日をキチンと生きるための糧になっていたのだ。
この糧は「食事、食べ物」という意味だが「精神・生活の活力の源泉」というもう一つの意味もある。食べることは生きること、生きることは食べること、なのかな⁈