衝撃の絵画ー「1946」(旧満州からの引き揚げ)
(manmoukinenkan.comから転載)
絵画の大きさもさることながら、これを描いたのが中国人の画家(王希奇氏)であると言うこと。この作品を描いたきっかけは、旧満州から悲惨な状態で引き揚げる日本人たちの写真を見た際、「男の格好をした一人の女の子」(上記写真)に注意を引きつけられたことだそうだ。中国は日本にひどい目に遭わされたが、日本の人々も同じようにひどい目にあっていると思ったそうだ。
この動画には王氏の絵画の制作過程が描かれている。(YouTubeから転載)
この絵画を見に来た80過ぎの女性の言葉が胸に響く。
「今まで満州からの引き揚げについては誰にも語ってきませんでした。つらくて語れませんでした。でもこの絵の中の一人は私です」
この絵に描かれた人々の生活は、その後も差別と貧困で相当過酷だったという。日本という国は自分が引き起こした戦争にきちんと向き合ってきただろうか。
硫黄島にはいまだに一万個以上の遺骨が回収されずに眠っているそうだ。
ビルマでのインパール作戦での人的被害など明確な資料がなく推測である。NHKのドキュメンタリーを見る限り無謀極まりない作戦で戦死者より餓死者の方が多かったと言っている。
夫がミャンマーで仕事をした際、インパールのジャングルあたりを訪れている。その過酷な環境を目の当たりにして、「よくあんなところで戦争をしたなあ」との感想を漏らしている。
ペリリュー島では一万人の兵士がほぼ死亡し、いまだに武器や人骨が放置されたままだ。数少ない生還者の一人が孫娘と慰霊に訪れてその悲惨さを語った。これが最後になると思うと。御年94歳。彼は終戦を知らず洞窟に2年間隠れていて助かったそうだ。
シベリア抑留もそうだ。これなど戦争が終わってからのことだけに遺族の思いはいかばかりか。
数え上げればいくらでも出てくる。兵士の死ばかりではない。この戦争に巻き込まれた日本国民の犠牲者に至ってはその数は膨大だ。さらには蹂躙されたアジアの人々の犠牲。
日本という国、いや私たちはこのような日本の歴史にきちんと向き合っているだろうか。日本の政治家は謝罪というと必ず「自虐史観」という言葉を持ち出す。メルケル首相がポーランドに対して「確かにドイツ人が行ったことである。この責任に終わりはない」と謝罪し、過去を直視する必要性を語ったのとは大きな違いだ。
日本の学生とアジアの学生の歴史認識の違いがよく言われている昨今、学校教育の中で日本の近現代史をしっかり教え、過去と向き合い考える必要がないだろうか。
あらためて半藤一利氏の言葉を引用したい。
「人間の眼は、歴史を学ぶことで初めて開くものである」「戦争は国家を豹変させる、歴史を学ぶ意味はそこにある」(2023年2月22日付 朝日新聞 半藤一利氏の言葉)