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今日ときめいた言葉122ー「老い」について語った言葉

「過去の古傷とともに生きる生き方を身につけるのが、老いるということだ」
 (日本の文学研究者 西成彦(にしまさひこ)  )

(2024年3月8日付 朝日新聞「折々のことば」)

フーム!深い言葉だなあと感じ入った。私の老いは、過去に負った古傷の痛みに日々鈍感になって行った結果だと思うけど。これでももっと若い頃は、道を歩いていて何かの拍子で過去の古傷が脳裏をかすめた時、恥ずかしさで「わっ」と言って立ち止まってしまうこともあったけど・・・。

そうしたら同じ新聞の別の誌面にこんな言葉を発見した。

(ちまたでは会社を退職後に、老いに備えて『終活』を始める人も多い)

「終活なんてしません。考えたこともないですね。死ぬ準備を始めたら、生きる潜在能力をそぐことになりませんか。生きているうちにめいいっぱい生きなくちゃもったいないと思いますけどね」

「どう死ぬかなんてことも全然考えません。だってわからないじゃない、人がいつ死ぬかなんて。今日かもしれないし明日かもしれないし、100歳まで生きるかもしれない。年齢順なわけでもない。人生88年生きてきて一度も考えたことがない。そんなことを思ったら止まってしまうし、物事に対して腰が引けてしまう気がする」

(写真家 操上和美氏の言葉)

こちらの言葉にもときめきます。この方は「古傷」なんかと折り合いをつけるなんてこと考えず、まず今日を目一杯生きようとする人なんだろうな。始めの方は文学者、次の方は写真家。文学者は沈思黙考する生き方から生まれた言葉。写真家はその瞬間を切り取るために全ての情熱をかけてきた生き方から発せられた言葉なのかな?

どう生きるのかとかどう死ぬのかとか考えてもどうにかなるものでもないし、そこで思考停止しているのが今の私だと思う。以前読んだアドラー心理学の考え方「人生は刹那の連続である」「人生に意味などない。意味を与えるのは自分自身だ」を思い出した。中途半端な自分の人生に対する負い目みたいな感情がちょっと和らいだ。


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