今日ときめいた言葉59ー「体験しなければわからぬほど、お前は馬鹿か」
(2023年6月30日付朝日新聞 「斜影の森から」福島申ニから)
この言葉は、「原爆の図」を描き、核の非人道を問い続けた丸木俊さんの言葉だそうである。「戦争や被爆の体験がないから平和を願う核心になる実感がない、という世代がいるが」という問いに対して、答えたものだそうだ。
人間の想像力や共感力を信頼しているからこそ発せられた言葉だと説明されている。
「実際に戦争で人が死ぬ悲しみ、人が焼け焦げるにおいがどういうものか」と言うことを想像できない議論は机上の空論だ」と言う佐藤優氏の言葉(2022年7月23日付朝日新聞)
「いつだってただ傍観し、人の苦しみを記録することしかできないことは辛いことだった」と言う写真家のキャパの言葉(NHK「映像の世紀」より)
「私は諸君に人々が餓死するということが何を意味するかを考えてもらいたい。ただ眺めているばかりで、手ひとつ挙げることもできないというのは、私にはふがいないのです。あくまで闘って道を開いて進まねばならぬ。失敗でも敗北でも何もしないよりはましだ。成し遂げなければならないことを達成するための道は常にあるのだ」と語る初代難民高等弁務官ナンセンの言葉(NHK 「映像の世紀」より)
どの言葉も胸に刺さる。少なくとも生きている限り、他者の苦しみや悲しみを想像力と共感力を持って受け止める努力をする人間でありたいと思う。だから下記のような言葉が言えてしまう人間の側には決して立つまいと思う。
「私は戦後生まれのものですから、歴史を持ちだされたら困ります」
「沖縄が戦後歩んだ戦中戦後の苦難の経過をこう突き放した菅義偉氏が首相に就いた。5年前の2015年、辺野古移設を巡る翁長雄志前知事との非公開の協議のなかで発せられた言葉だ」(20年10月27日、毎日新聞夕刊、一面記事より)
この言葉からは、想像したり共感できる自分の能力を使って理解しようともせず、苦悩してきた、いや、今も苦悩している人間の存在を無視しようとする意図を感じる。「体験しなければわからぬほど、お前は馬鹿か」という丸木女史の言葉が聞こえてきそうだ。
このような意識や歴史認識を持った人が、自分の住む国の政治に関わっている。国民が体験した苦難や悲劇をこのような言葉で語る人が、日本という国を率いているという現実に暗澹たる思いである。