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金子文子を知っていますか?

              〜(「女たちのテロル」ブレイディみかこ著から)〜

人間の平等を希求し、国家権力と戦った人。100年前に彼女は確かに存在した。今、私達がその名も思想も知らないのは、意図的に無かったことにされたからではないか。          

金子文子の生涯はたったの23年間。その半分あまりの人生は、今の言葉で言うネグレクト、児童虐待、DV(ドメスティックヴァイオレンス)、児童労働、そして貧困の日々。時は、1903年から1926年〜明治から大正期。今から100年前に生きた女性である。

父も母も肉欲と酒に溺れ、それぞれが連れ込んだ相手と取っ替え引っ替え、子供の目の前でも平気でその痴態をさらすような人間だった。子供などかえりみないそんな両親のもと文子は「無籍者」として育つ。両親が役所に届け出なかったから、戸籍が無く学校へも行けず文字も読めなかった。その後、両親に捨てられた文子は9歳で朝鮮に住む祖母に預けられ、そこで7年間女中としてこき使われる。ここで初めて学校に通い14歳で高等小学校を卒業する。       

この祖母達の虐待から彼女は13歳で自殺を試みている。着物のたもとにたくさんの砂利を入れて投身自殺を。だが文子は自殺を思いとどまる。それは「今自分がいる世界とは別の美しい世界があるのでは」という思い、「ここで死んでしまったらこの自分の苦しさを語るものがいなくなる。自分の苦しみがなかったことにされてしまう。そんなことされてたまるか」という思い、さらに「同じように苦しんでいる人たちと共に、苦しめている人たちに復讐しなければならない」という思いが、文子の自殺を止めた。これが文子の思想の萌芽であるという。

自分の置かれている底辺から世間を鋭く見つめ、自分の寄って立つ思想、自分自身を生きるという思想。本などを読んで得た知識とか先生から教えられたことではなく、自分の過酷な生活の中から自身がつかみ取った思想である。彼女は書いている。

「社会主義は私に、別に何ら新しいものを与えなかった。それはただ、私の今までの境遇から得た私の感情に、その感情の正しいということの理論を与えてくれただけのことであった。(「女たちのテロル」より)」

彼女にとって思想とは、生きることそのものであるが故に、いわゆる世の知識人とかが大層な主義主張を唱えながら、現実は全く異なる生活を営んでいるようなものではない。彼女は、現実の生活やそれを営む人間に現れる思想しか信じない。彼女は自分で考え、自分で行い、生きる。その考えや生き方を何か既存の主義主張に規定されることを拒んだ。彼女は彼女自身であり、何者でもない自身であると。ただ敢えて言えば、個人主義的無政府主義と言えるかもしれないと言っている。

文子は、大逆事件(1910年)、明治天皇暗殺を企てたとされる事件(社会主義者やアナーキストたちが大量に処刑された。教科書で学んだ知識の域を出ないが、虐殺された人物に、幸徳秋水とか菅野スガ、大杉栄とか伊藤野枝がいたことは知っていた)で、逮捕起訴される。弱冠20歳。死刑判決を受けるが罪を立証する明確な証拠も示されないままで、後に恩赦を受けている。刑務所に収監され、ここで恩赦の条件として、転向を強いられたようだ。当時の日本は、国家を転覆させるような思想を持つ不逞の輩を厳しく取り締まった。文子は転向には屈しなかった。文子にとっては、思想は自分の肉体そのものであり、思想を殺すことは肉体を殺すことを意味したからである。3年後、栃木の刑務所の独房で死体となって発見される。自死とされているが未だ不明である。享年23歳。

(第12回被告人訊問調書から)

「私はかねて人間の平等ということを深く考えております。人間は人間として平等であらねばなりませぬ。そこには馬鹿もなければ、利口もない。強者もなければ、弱者もない。地上における自然的存在たる人間としての価値からいえば、すべての人間は完全に平等であり、したがってすべての人間は人間であるという、ただ一つの資格によって人間としての生活の権利を完全に、かつ平等に享受すべきはずのものであると信じております。」

20歳の女性が、100年前の日本の法廷で述べたことばである。なぜ彼女の言葉が我々に伝えられなかったのか。それは、彼女がその思想ごと抹殺されたからであるとの説もある。実際彼女の残した遺稿はすだれのように切り込みが入れられており判読が困難なものもあるという。彼女がもし生きながらえていたら、どんな言葉を残したであろうか。どんな書物を書き著していたであろうか。聞いてみたかった。日本という国家はこのような人物を生かせなかったのである。

「何が私をこうさせたか」(獄中手記ー金子文子著)より

「たとい私たちが社会に理想を持てないとしても、私達自身には私達自身の真の仕事がありうると考えたことだ。それが成就しようとしまいと私達の関したことではない。私達はただこれが真の仕事だと思うことをすればよい。それが、そういう仕事をすることが、私達自身の真の生活である。私はそれをしたい。それをすることによって、私たちの生活が今ただちに私達と一緒にある。遠い彼方に理想の目標をおくようなものではない」

この女性が、100年前に生きて、今私たちが手にしている自由や権利のために戦って、生涯を終えた人であったことに、衝撃を受ける。今の自分のゆるい生活を思って‼️

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