今日ときめいた言葉174ー「笠智衆が表現した存在感」
(写真はNHKアーカイブスから引用)
笠智衆生誕120周年記念の映画3本を見て記事を書いたばかりなのに、この人を評するピッタリな言葉に出会った。(2024年7月13日朝日新聞「夢をつくる」山田洋次監督の言葉から)
まず監督は、森繁久彌の笠智衆評を語る。
「山田さん、私のようなつまらない役者の前で笠さんのような偉い人の話をしないでください。私のような役者は、頭を掻いたりハンカチで汗を拭いたり鼻くそをほじくったりと、いろいろ芝居らしきことをしなきゃ間が持たない、でも笠さんはそんなことは一切なさらない。ただ黙って座っているだけでいい。こんな人に敵うわけがありません」
また、あの新劇俳優の宇野重吉がこんな名言を言ったと。
「ぼくが一緒に芝居をしたくないやつ、つまり絶対に食われてしまう相手が三通りある。その一は犬や猫。これは自然そのものだから敵わない。次に子ども。いい芝居をしようなどと思わないから敵わない。三番目が笠智衆。絶対に食われてしまう」
そして、山田監督の評は(原文のまま)、
「決して上手い人ではない。むしろ芝居が下手な人と言うべきだろう」
(だが、ひたすら真面目に不器用で下手な芝居をしていた熊本訛りのとれない、誠実無比なこの人の人柄に小津安二郎監督が惚れ込んだ)
「人間がそこに存在している。松の古木が街道ぎわに生えているように、大きな岩が山の麓にデンと座っているように、一人の人間がその人生を抱えてさりげなく存在している、と言う存在感を笠さんはその全身で表現できる稀有な俳優だった」
(笠智衆は山田監督に「新しい寅さんを書くときには、自分の役を忘れないで欲しい」と頼んだそうだ。「あの役は大好きで出演するのを楽しみにしている」と言っていたと)
「『笠さんのことを忘れるはずがありません』とお答えしましたが、そんなことを笠さんは本気で考えている。謙虚とか謙遜という言葉がこれぐらい似合う人はいないし、さらには無欲という言葉もこの人にはふさわしかったと思います」
そして最後にこのように結んでいる。
「無欲の人ー日本人は昔から憧れたタイプだけど、今はあまり聞かなくなったような気がする。金、地位、権力、名声、贅沢ー資本主義の世の中の成功者が手に入れたい価値、目指すべき価値とはまったく無縁に生きた美しい人、それが笠智衆さんでした」
現代の世にそのような役者はいるだろうか?あなたは誰を思い浮かべますか?
役者道としてそんな価値観や美意識はもはや誰も気にかけなくなってしまったのかしら?
映画を見る限り確かに美しい。でも、「もし」と考える。笠智衆のような人が自分のオットだったりパートナーだったり、父親だったらどうだろうと。私には、映画の中だけの世界がいいのかも。