時間感覚ゼロの私が1日の時間をデザインした話
ゼロは言いすぎだろーと思いたいが。
どうしても、ぐーたらしてしまう。
あーあー。
なんで、同じ1日の中に
①コレと決めてやり続けられるものと
②やろうと頭で分かってるのにできない事(やめられないこと)があるんだろう?
②は例えば、漫画読む時間。
あるなら他に使えたじゃん的なやつ。
納得感はさておき
②も、毎日変わらずやってるという意味では
①なんだけど……。
事後の達成感は天と地の差がある。
つい先月までは
①すらなかったので
私の日常は確実に変化しているのだけれども
なんかこう
もうちょっと
どうにかならんかね?と。
時間を測る系のマネジメントには
引くほど敗北している(꒪⌓꒪;)
(敗北しては挑戦して、
また敗北して打ちひしがれる笑
もはや1人喜劇)
(時計の針は、不規則に急進したり全然進まないように見えるあたり、荒手の「だるまさんが転んだ」だと思っている。あるいは掴もうにも掴めないドジョウ)
時計(のネジや歯車)は幼少期からずっと変わらず好きなので、万年片想いでしょうね。
話を戻すと
いわゆるタイムマネジメント手法は
私の適性が低すぎるので…
天の声(別名ひらめき)が聞こえるまで
お家の中のお気に入りの変な場所に
いつもの如く
体操座りをすることにした笑
「1日の中に、デザインしきれていない時間がある」
ボーッと体操座りも飽きたし
さて立ちあがろうかと言う時に
浮かんだ言葉にハッとした。
そういえば、数字や型ではなく
『デザインする』という視点からは
試してなかったなぁ
と思った。
何もないところから
カタチ創るとき
どんな感覚だったかな。
( 'ω')?( 'ω')?( 'ω')?( 'ω')?
イメージの欠如
体感の欠落
抑揚とリズムの不定
タイムマネジメントだけ考えて
上手く出来ないとモヤモヤする感覚は
曲想の情景もなく、情緒も分からず、
弾きはじめのテンポすら定まらないまま
ただ弾き始めた時ような不快感に
似ていると気づいた。
あるいは
何の感覚も伴わず
コンセプトすら不明のまま
手だけを動かして絵を描こうとするような
霞がかった混沌とか。
見てくれだけが良い「空っぽの言葉」には
何の意味もなかった。
何も感動しない
何も突き動かされない。
何の力もなかった。
何となく
上手くいかなかった理由と
デザインするということを掴み始めたので
ひとまずノートをひらいた
自分だけがそこにいる時間を
「個の時間」と名付け
これを午前とした。
他者(他社/多者/多社)と関わる時間を
「対他の時間」と名付け
これを午後とした。
白紙の紙が
2つに分裂した。
「個の時間」と「対他の時間」との間に
「ランチ」と書いた。
精神や思考、表現の世界から
他者とのコミュニケーションの世界の間に
「ランチ」という
超現実的で肉体的な時間を入れるのは
なかなか良いグラデーションだと思った。
「対他の時間」は17時で閉園にしよう。
そのあとは
「家族の時間」
家(家事)と族の時間。
族の響きが気に入った(笑)
1日の最後は
「個の時間」。
✝︎ー⟡.·*. ー 終 幕 ー⟡.·*.ー✝︎
書いてて今気づいたけど
良い感じのロンド形式じゃないか?
ーーーーー
とまぁ
時間感覚が弱いという不得意を使わずに
いかに1日を良く過ごすか
について
あーでもない、こーでもないと試行錯誤して
気づいたことを書きました。
昨日書いたことも
やってみている。
1日の行動を30分刻みで記録して、どんな気分や具合か?を問うという案。
これは一度、二度
過去に成功体験があるので
自分にとってはなかなか悪くないと思っている。
せっかく天の声(別名ひらめき)があっても
当の私は凡人ゆえに
知っただけじゃなく
とにかく実践して経過をみよう、
とまぁこういうわけです。
ノートに書くのは
誰かのためでも
読まれるためでもなくて
せっかくの天の声なら
ちょっと書いて公開しておけば
(ひょっとすると
誰かの役にも立つかもしれないが)
それ以上に
書いただけでやらないと
口だけお化けだぞ〜💋
という
自分へのちょっとした克己心の刺激になるだろう
というのが1番ですね
(これも過去に成功したからまたやっている)
ういっ\( ´ω` )/
昨日書いたのはコレ↓あ昨日じゃないかも
https://note.com/amour_et_sophie/n/nfa341983fbba
↑ここ。
関連記事
https://note.com/amour_et_sophie/n/nd4f936c5f020
ジタバタしてるぜー(*σ・ω・。)σツンツン