読書が明日への活力になる
物事の見方が180度変わってしまうような体験が好きだ。本は、いつでも鮮やかに私の価値観を変えていく。
大どんでん返しのストーリーに揺さぶられることもあるし、私とは異なる価値観を持つ登場人物が現れて全く知らない世界を見せてくれたりする。私の価値観を転換し、広げてくれる。それが本であると思う。
なぜ価値観の変化を好むのか。それは、私の知的好奇心の強さが理由だと思う。もっと深く知りたい。もっと新しいことを知りたい。自分の知らない世界を見てみたい。年々、そんな思いが強くなっている。
でも実は、価値観の変化が好きだと思えるようになってきたのはこの1、2年のことだ。高校の途中ごろから大学2年生ぐらいまでずっと、私は何か未知なことに挑戦することや変化を過度に恐れていて、あまり心に元気がなかった。毎日学校に行ってそれなりに生活はしていたものの、自分が何を好きだと思うのか、嫌いだと思うのか、楽しいと思うのかがわからず悩んでいた。感情の振れ幅が小さかったように思う。
その時のことを振り返ると、本を読んでいなかったなと気づく。子どもの頃から毎週末に図書館に連れて行ってもらって、借りられる冊数の上限ぴったりまで本を選んで、3日以内に読み切ってしまうような本の虫だった。それが、学年が上がるにつれて部活や勉強でなかなか時間を取れなくなっていった。高校の時は3年間で数冊、片手で数えられる程度しか読まなかった。小学生の頃の私からしても、今の私からしても、ちょっと信じられない。もちろんその代わりにその他のことに時間を費やして得たものもたくさんある。でも本をあまり読まなかった数年間を振り返ると、本を読んでいなかったせいだけではないけど、生きるエネルギーが足りていなかったなと思う。
私は、食事からは得られない、本を読むことでしか得られないエネルギーを摂取する人間なのだ。読書は私にとって、現実世界を生きるための助走で、栄養補給で、心の支えだ。正直人間向いてないなと現実世界に嫌気がさすこともある。そんな時、現実世界で私が楽しく豊かに過ごせるように助けてくれるのが本だ。
今の私は、まだ読み終わっていない本がたくさんあるにもかかわらず、ほいほい本を買ってしまう。アルバイト代の多くが本に消えていて、一瞬本に伸ばす手が止まりかけるけど、知的好奇心や感情が戻ってきていると感じるので安いものだと思うことにしている。だって必須栄養素だもの、うんうん(言い聞かせる)。
ほいほい買ってしまうのは、本屋さんや図書館で、本に呼ばれた、と感じることが増えたからだ。スピリチュアルなやつだなと思われるかもしれないが、本当にある。通り過ぎた本棚から何か感じることがあって、そこまで後退りして戻ってきて手に取った本が、その時の自分にものすごく響くという経験が何度もある。その時の私に足りていない栄養を本能的に感じとって、読書することで補っているのかもしれない。やっぱり必須栄養素だ、うんうん(言い聞かせる)。
本を開くことは、新たな世界への扉を開くことだ。私はそうすることで、現実世界を生きられる。もしも違う扉を開いてしまったと思っても大丈夫。その時はそっと閉じて、後で戻って来て開いた時、また違うふうに見えてくるかもしれない。ある時にしか響かない言葉というものが確実にあるから。本は食べ物と違って腐らない。いつでもそこで待っていてくれる。