![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/68817946/rectangle_large_type_2_25dc24b76e501520ed874ee49eb47ac2.png?width=1200)
『呪術廻戦0』 純愛と大義
先日、映画の呪術廻戦を見てきました。元々、原作である漫画を読んでいて、アニメの作画に惹かれ、映画も見てみようと出向きました。
※主人公である乙骨を軸とした感想ではありません。
(以下、ネタバレを含みます)
幼少のころ、幼なじみの祈本里香を交通事故により目の前で失った乙骨憂太。
「約束だよ 里香と憂太は大人になったら結婚するの」
怨霊と化した里香の呪いに苦しみ、自身の死を望む乙骨だったが、
最強の呪術師・五条悟によって、呪術高専に迎え入れられた。
そして、同級生の禪院真希・狗巻 棘・パンダと出会い、乙骨はある決意をする。
「生きてていいって自信が欲しいんだ」
「僕は呪術高専で里香ちゃんの呪いを解きます」
一方、乙骨たちの前にかつて一般人を大量虐殺し高専を追放された最悪の呪詛師・夏油 傑が現れる。
「来たる12月24日 我々は百鬼夜行を行う」
呪術師だけの楽園を標榜する夏油は、非術師を殲滅させんと、ついに新宿・京都に千の呪いを放ち――
果たして、乙骨は夏油を止められるのか、
そして、里香の解呪の行方は‥‥。
(『劇場版 呪術廻戦 0』公式HP STORYより)
◆純愛と大義
大きな構成として4段階あったように思う。
①主人公である乙骨が呪術師になることを決意(自分のために戦う)
②乙骨と同級生の友情の芽生え(他者のために戦う)
③同級生が傷つくことで乙骨の全力が開眼
④乙骨による里香の解呪
乙骨は里香への「純愛」と同級生への「友愛」をキーに本作で戦っている。他者への愛が所謂モチベーションとなっているとも言える。
他方、その敵役として配置された夏油は何のために戦っていたのだろうか。劇中では夏油が吐き出す強大な呪霊に立ち向かうため、乙骨が里香に告白することで呪力の制限解除をするときのセリフを考えると「大義」ということになる。
「そうくるか‼︎女誑しめ‼︎」
「失礼だな 純愛だよ」
「ならばこちらは大義だ」
(『呪術廻戦0 東京都立呪術高等専門学校』より)
◆夏油の大義とは(弱者生存)
夏油の言う「大義」とは何だったのか。鑑賞中それが気になって仕方がなかった。
また、五条や家入の同級生として呪術高等専門学校に在学中、呪霊討伐の任務で、呪霊を見れる幼い少女たちが非術師である村人に虐げられていることに憤り、村人の全滅により追放されたと言っても、その憤りという感情をどれほど持ち続けられるだろうか。
特級という階級に上り詰めるまでの努力を要せる人物が、術師だけの世界を作ることの難しさと歪さに思い至らない訳がない。この社会は多くの非術師による産業によって成り立っているのであり、それらは呪術でカバーできるものではない。
“弱者生存“
それがあるべき社会の姿さ
弱きを助け 強きを挫く
(『呪術廻戦9』より)
夏油は在学中、あるべき社会の姿をこう述べている。術師である強者が非術師である弱者を助けることは当たり前と考えていた。
けれども術師かどうかが強弱を決めるのだろうか。もしそうであれば、幼い少女たちが非術師に虐げられるような事態は起きていないことになる。けれども、それは起きた。
夏油は特級であり、同級生の五条は共に最強を名乗る人物であり、術師は強者であると考えられる世界から、術師であっても弱者になりうる、むしろ術師だからこそ少数派として虐げられる世界があることを知ってしまった。
そして恐らく宗教家として活動する中で、同様の境遇にある虐げられてきた術師たちと出会っていったのではないだろうか。
「弱者生存」という夏油の大義は変わっていないように思う。ただし、弱き非術師と強き術師という定義から、弱き術師と強き非術師という定義へ変わったのだ。
そう考えながら鑑賞する中、乙骨と夏油が戦うシーンで「術師が術師を助ける社会」に感動したと涙を流す夏油に、心揺さぶられた。それはおそらく「自分のはいた言葉が自分に向けられた言葉である」ように私が捉えたためであろう。
夏油が、夏油こそが本当は助けられたかったのではないか。
しかし弱者を助けたいと奔走すればするほど、夏油の周りに集まるのは傷ついた弱者ばかりで、自ら思考を止めた崇拝者ばかり。そして夏油を諌める仲間をなくし、孤独になっていったのではないだろうか。
◆「一人は寂しいよ」
「自分のはいた言葉が自分に向けられた言葉である」という意味では、映画の冒頭、五条が乙骨へかける「一人は寂しいよ」という言葉も、実は五条自らへの言葉なのではないかと思っている。
共に最強と言い合った夏油と五条は今や思想も生活も離れた暮らしをしている。崇拝者に囲まれた夏油と、学生を育てる五条。いずれも思想を共にする仲間と共にいるものの、絶対的な能力とそれに伴う孤独に差はあるのではないだろうか。
劇中、夏油は(おそらく)宗教本殿から夕陽の落ちる山間を見つめる。その後に続く場面で五条は教室から夕陽の落ちる山間を見つめる。(以下)
(夏油と五条がちょうど向き合うように配置されていて、同じものを見ながら敵対する関係性が表現されていた)
今は高専から離れた夏油が教室から見たであろう山間の風景を今も眺めること、五条が教室で生徒側の机に腰掛けること。そんな風景から2人の脳裏に浮かんでいるであろう青春の日々、2人が共にあった日々が想像された。
(『劇場版 呪術廻戦 0』予告編より)
乙骨の成長や執着からの解放と共に、夏油や五条の哀愁に心が揺さぶられました。