【外国人観光客】2024年2月に奈良観光で思うこと【傍若無人】
いま、奈良に来ています。
「忙しい。」の思い込みから解放されたわたしにとっては最高に相応しい気分リセットの旅。
ここ数年は、パンデミックも相まって国内旅行をすることが増えた。
数多の地方の中でも、奈良はわたしにとって最高の場所。奈良公園をのんびり気ままにふらついている鹿を見ている瞬間がとても幸せ。
ベンチに腰掛けて物思いに耽りながら私は、半日、いや、一日中鹿の姿を眺めていられる。
そしてこんなことをぼんやり思う。
私はもしかしたら、天平時代の貴族だったのかも…と。
何千年も昔、どう言う訳か私は、奈良東大寺の敷地の片隅で微笑みを浮かべながら鹿の様子を飽きもせず一日中眺め、時には和歌を詠んでいたのかも…
と、思わずにはいられない。
心に思うだけなら、その思想は誰にも止められないし明らかに簡潔明瞭、良い意味で人畜無害だ。
奈良公園のベンチに腰掛け、風と木々の音に包まれながら私はつぶやく。
「こんな気持ちにさせてくれてありがとう。」
いいのだ。私は幸せなのだから…笑
話が逸れてしまった。
本題に入りたい。
ここ数年奈良を訪れているが、コロナ禍とコロナ明けの違いも知っている故に感じたことがあって…同じような考えを持つ人が一定数いるといいなぁと思い、書き記してみます。
コロナ禍では、日本人しかいなくて、なんというか、穏やかで季節の移り変わりとか感じながら、奈良公園や近辺を散策したり東大寺や春日大社を参拝できたけど、インバウンドが戻って以降、奈良公園一帯の空気が様変わりした。
まるで原宿かと思うほどの春日大社までの人混み。奈良公園の鹿と写真を撮ろうとこぞって立入禁止区域に入って鹿の群れに突入したり、面白がって奇声を上げながら鹿を追いかけ回す外国人観光客。
幼児や子供がするならまだしも、いい大人が鹿を追いかけ回しているのには失笑する。
彼らは鹿の生態を知らないのだろうか…
何を思ってそんなことをしているのか理解に苦しむ。
そのような外国人観光客は、悪びれる様子もなく、堂々と立入禁止区域、公道、沿道、etc…
ところ構わず歩き回り、時に鹿を追いかけ回し、自然と人とが調和している空気を傍若無人に散々引っ掻きまわし、飽きてきたタイミングでそそくさと去っていく。
それは、人間と動物のパワーバランスを間違えて駆使してる良い事例。(皮肉です。笑)
そのようにして、一定数の迷惑な外国人観光客は人を怖がるキッカケやトラウマを鹿達にたくさん与えて去っていく。そのような外国人観光客はそれで満足かも知れないが、残された鹿達にとってはちょっと、いやかなりストレスに違いない。
住み慣れた場所にも関わらず、奇声を上げる大人に追いかけ回され、持ち場を荒らされたら、鹿の中には身を守るため人を恐れて逃げるようになったり、攻撃的になって襲いかかってくるであろう。
考えるだけでなんだかなーと思ってしまう。
そして、実際見たことなのだけど、中国人の家族連れの子供が、鹿にゆで卵を与えていたのにはドン引きしたから、思わず英語で注意で差し上げた…。
その人が英語理解できていたかは謎だけど、焦った顔していたから意思は伝わっていたかも…
多分、私以外にも類似ケースに遭遇した人、いるかも知れない。たくさんの心無い人達がとんでもない食べ物を与えているのかも…
考えても解決できないことは、考えないようにしてるけど、命がかかわることなら話は別だ。
私は鹿じゃないから、流石に鹿の気持ちはわからない。だけど、もし私が鹿だったら、「なんかやったらここ数年、居心地悪くなったなぁ…」ってぼやくに違いない。
もしくは、「絶対保護地区から山奥の管理地区に移動しようかなぁ?」と、持ち場を引き上げるかもしれない。
そして、もし、たくさんの奈良公園の鹿が山奥に引き上げて一気に個体数が減ったら、その原因は明らかなのである。
何がいいたいのかというと、
When in Rome, do as the Romans do.
郷にはいっては郷にしたがえ。と、言いたい。
日本に旅行するのは自由だけど、TPOをわきまえてくれないと元からいる人や物事にとってはあまり嬉しい話ではないのだと言うこと。
オーバーインバウンドが騒がれる昨今、
「コロナ禍はよかった。」
と、思っている人は、一定数いると思う。
まとまりがなくなったけど、
2024年2月に私が奈良に来て思ったことを終わりにします。
今回は、一定数がキーワードでたくさん出てきました。一定数っていい意味、悪い意味、どちらにも使えるのですね。笑
End
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