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我が家で育児~第二章~がはじまった

慌ただしく過ごしているうちに気がつけば長男は5歳になっていた。ここにきて今、私は「ついに育児がはじまった…!」と震えている。我が家には3人の男の子がいるが、みんなが赤ちゃんだった頃と今を比較すると悩みの質やタイプがすっかり変わったように思う。特に長男との関わり方については色々と思うことが増えた。

お世話、という意味では我が家では三男(1歳)がまだまだ手が掛かっていて、次男(3歳)もなかなか思うようにいかないことが多い。長男は自分で服を選べるし、喉が渇いたら自分でコップを取り出してお茶を注いで飲むことだってできる。自分の子どもながらに、しっかりしてるなあと思うのは毎朝の朝活だ。彼は1歳の頃からこどもちゃれんじを受講しているが、年中さんになって自分のタブレット(この状況にすごく”現代”を感じる)が届いてからほぼ毎朝6時半には起きて、一人でレッスン動画をみたり、ひらがなの練習に勤しんでいる。もうすぐカタカナレッスンが始まるらしい。

1歳の三男と比較しても5歳というのは本当に頼もしい。話は通じるし、人の顔色を伺うようになった。もちろんまだまだ子どもなので、自分の世界に夢中になることもあれば、空想世界にいるようなことを言ったりもする。そんな長男と、親というよりも一人の大人として発する言葉を気を付けたいなと思う出来事があった。

それはちょっと夜更かしして、長男と一緒に色鉛筆で絵を描いていたときのことだった。ふと「はだ色」という色の名前についての話題が上がったのだ。今は「うすだいだい」という名前で表記されることが多いそうだが、すべての色鉛筆やクレヨンでそう表記されている訳ではなく、そのときたまたま手にしていたのが「はだ色」と書かれたものだった。「色んな色の肌の人がいるからねー」と何となく言ったら、長男がふと、こんなことを言い始めたのだ。

「〇〇君の肌は黒くて気持ち悪いよね」
「〇〇ちゃんの肌はガサガサで気持ち悪いよね」
(※長男の言葉を受けて私の方で意訳しています)

この長男の発言に私は、気が動転してしまった。脇汗が出て、一瞬だけ頭が真っ白になった。この時の私が思ったことは「まさか自分の子どもがこんなこと言うなんて!」だ。この時の長男に悪気は一切ない。感想を述べた感じ。「この猫ちゃん、しっぽが長いね」とでもいうようなトーンだ。でも待て待て、「気持ち悪い」という言葉を人に使うことはそもそもよろしくない、ということはまず伝えなくてならない。

「長男はなんでそう思ったの?」

テンプレートだが、何を言う前にも、できる限り理由を聞いてみる。すると彼の返答は大きくまとめるとこんな感じだった。

「〇〇くん(〇〇ちゃん?)がそう言ってたから」

う~~~ん!そう来たか~!それが真実であるかは私には確かめようもないのだが、集団生活でこれから色んな友達と出会っていく彼にとっては、友人が発する言葉と言うのはとても影響力が強い。「子どもがこれから切り開いていく自分の世界」が存在することを実感した瞬間だった。家庭内で教えられることなど、子どもに伝えなければいけないことはなんでも伝えていきたいが、子どもの世界はこれからどんどん広がって、私みたいな母親が言った言葉なんて「うるせえ」の一言で一蹴してくる日がいつかは来るのだ。私の頭の中では空想の「10代の反抗期の長男」の姿が浮かび上がっていた。我ながらとても気が早いのである。

話を戻そう。長男には「気持ち悪い」と言う言葉の意味がどういうことかということを一緒に確認して(単純に人に対して使うには「良くない」言葉として)、人に向かって言っては悲しい気持ちにさせる、ということを伝えた。本人も「そっか!」とあっけらかんとしていた。それ以降、長男は長男なりに何かを感じ取ってくれたのだろう。人に対して「気持ち悪い」と言うことはなくなった。

その後、人の肌の色についても少し話した。私と、長男の夏に沢山外で遊んでこんがりと焼けた腕を見せ合って、色が違うね、と見せ合いっこした。その延長で、この世の中にはいろんな髪の毛の色の人がいて(長男はつかさず「〇〇ちゃんのパパは髪の毛がないよネ!」と言っていた。やっぱり子どもの無邪気さんにはハラハラさせられる)、目の色も違う人がいて、当然肌の色も違う人が沢山いて、みんな違って同じ人はいない。でもそれが普通で、それがいいことなんだよ、ということを伝えた。
この話を長男がどこまで理解してくれたかはわからない。なぜなら、肌を見せ合いっこした際、長男が私の腕に「ほくろ」があるのを見つけ、そのまま数を数え始めてしまって、話どころではなくなってしまったからである。長男は楽しそうにしていたが、私はその後少しの間モヤモヤした気持ちを抱えたまま過ごすことになった。

これが私にとって紛れもなく、「我が家でついに育児~第二章~が始まった!」と思わせた瞬間だった。着替えや食事などのお世話がほとんど卒業になった長男。次は精神的な部分での「育児」が始まった。元気で、健康で、楽しく毎日を過ごすことが何よりも大事だけれど、この出来事を通して私自身の中に子どもたちに対して「こういう考えを持ってほしい」という欲(エゴ)がやっぱりあるんだな、ということを再認識することになった。子どもは子どもの人生とは言うけれど、親も親なりに思うことは当然あるのだ。ただ、伝え方はその時々で気を付けなければならない。

長男は5歳になってから言葉がすっかり「男児」になった。一人称は「おれ」を使うようになったし(たまに思い出したように「ちょーちゃん(長男名前+ちゃん)」と自分のことを言うが)、「〇〇じゃねえ」とか「〇〇やってんだろぉ!」「〇〇だぞ!」とか、私からするとちょっとイキった話し方をするようになった。保育園にお迎えに行くと、全く同じしゃべり方のお友達が結構いるから、きっとお互い影響し合っているのだろう。ちょっと悪い言葉遣いが恰好良くみえる時期もあるよね。わかるわかる。私なんて思春期にちょっとトガりたくて自分のことを「俺」って言ってみたことがあったけど母親に「あんた何言ってんの」って言われてものすごく恥ずかしくなり、一瞬で辞めたときのことを思い出した。恥ずかしすぎて封印していた記憶だったが、イキってる長男をみてたまらず思い出してしまった。やだな~!思春期の長男をみたら、思春期の自分を思い出すのかな。それは覚悟が必要だぞ…。

それはさておき、さすがに言葉が乱暴すぎるなと感じたときは「ママはもっと優しい話し方が好き」と伝えるようにしている。しかし次男(3歳)に対しては、容赦がなく、そうするとそのイキった話し方が次男にも伝染していくのだ。3歳児の「ママだいちゅち❤(三男はまだ舌足らずな話し方をする)」の後にくる「何やってんだオマエ!」のギャップに頭を抱えてしまう。

長男も相変わらず色んな表現を外の世界から輸入してくる。たまにやっぱりよろしくない言葉も使うので「ん?!」って聞き返すと「人には言ってないよ!ただ言ってみただけ!」と慌てて返すようになったから、言って良い言葉と良くない言葉があるということは認識しているようだ。それとは別だが先日「しーらんぺったんごーりら!」と言っていて、思わず「それどこで聞いたの?!」とびっくりしてしまった。これってそれなりに年季の入った言葉だよね?発祥がいつかどこかも知らないが、口馴染みが良くて、好きな(?)フレーズだ。オリジナルを知りたくてググったらこんな動画が出てきた。エーッ!最近の歌になってるのー!(長男はこの歌は知らないようだが)


育児って奥が深い。興味深いことだらけだ。生まれたての赤ちゃんが歩くまでの成長はみていてとても嬉しかった。言葉を覚えて社会を覚えていく子どもの姿もとても興味深いと思った。それと同時に、家庭内で人生のすべてを子どもに教えることは不可能だという前提はあるが、それでも、自分が発する何気ない言葉や気持ちの表現方、言葉の選択が、子どものそれに影響する場合があるということは念頭においていかなければならないなあと、襟を正す思いだった。

今日はここまで!お付き合いいただきありがとうございました~!

あみ

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