アフロ・イン・パリ④


 有名なクリニャンクールの蚤の市にも出かけたが、20歳そこそこの若者にアンティークの良さがわかるわけがない。ぼんやり古びた雑貨や美術品などを見ながら「ここへ来るにはまだ早い気がする」と内心思っていた。

 また路上に所々で絵描きがいて、どれどれと作品を見に近寄ってみると、ピカソの抽象画のような作品がずらり。「あんたの似顔絵を描くよ」と言って来られるが、抽象画で似顔絵って、、と丁寧にお断りした。今思うと旅の思い出に一枚描いてもらえばよかったのかもしれないが、だいたい想像はできる。アフロが強調されて描かれるのは確実だ。しかしパリである。芸術を大いに許容する街だということが、彼らの佇まいから感じ取れる。誇りを持ってそこに立っている。画家という肩書きがあろうとなかろうと、生産性のあることをしてようとしまいと、ただそこに生きることは権利である、という盤石たる強い信念を感じるのである。それはシャルルドゴール空港に着いて、労働組合がストを起こしている状況に出くわした時から、言葉にはできないこの国のムードを肌で感じていた。


パリに来て3日目。朝から晩までパンをかじっている。おいしいけれど、さすがに日本的な物を欲するようになってきたと、友人や先生たちと同意し合い、ガイドブックに載っていた’ひぐま’というラーメン屋に行ってみることにした。

大通りから外れた場所にひっそりと佇み、ラーメン屋にしては照明が暗く、店内入ってすぐに北海道土産でお馴染みの、手彫りのひぐまの置物が置かれていた。客はそんなにおらず、店主はアジア系だが日本人でもなさそうな雰囲気だ。席についてすぐにラーメンを注文する。

待っている間に店内を見渡していると、中央にある大きな丸テーブルに、肩を寄せ合って座っている白人男性二人に目が釘付けになる。二人とも真っ白のランニングシャツに(12月だと言うのに、、!)、美しい筋肉がついた二の腕をむき出しにし、彫りの深い顔立ちに濃い髭をたくわえている。まるで双子のフレディー・マーキュリーじゃないか、と目を見張った。

彼らは身を寄せ合いながら餃子一人前を嬉しそうに箸でつっつき、時々お互いに餃子を食べさせ、うっとりとしていた。友人や先生らの「いやあ、今日もいろいろ歩いたねえ」なんて世間話もまったく入ってこず、わたしはこれ以上ないくらいに眼球を広げ、双子のフレディ・マーキュリーを凝視していた。

幼稚園の時、テレビで『パタリロ』を観た時の衝撃に近い。この世界観は、なに。脳みそがぐわんぐわん揺れる。と、同時にまた撮影なんじゃないかとクルーを探したが、どこにも見当たらなかった。頭の中でクイーンの『ウィ・アー・ザ・チャンピオン』が爆音で流れ出す。

ラーメンの味はまったく覚えていない。


つづく


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