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バーボン・ストリートの一夜
海外女1人旅にハマっていたのは、2007年までのこと。
1人旅の自由気ままさや人との出会いが気に入っていた。
でも、1人旅では1人での食事(特に夕食)が一番のネックだった。
レストランに1人で入るのは勇気がいるし、席に1人で座っていると間が持たない。
ラッキーなことに、その当時はそこそこ行ける口だったので、アルコールを飲むことで、1人でも回りを気にせずに食事できた気がする。
海外女1人旅した中で、お酒が飲めて良かったな、としみじみ感じたのは、アメリカのニュー・オーリンズを旅した時かもしれない。
2006年11月、勝手なお世話かも知れないが、1年前のハリケーン・カトリーナの復興応援という思いと、その当時習っていたゴスペルをはじめとしたブラック・ミュージックの始まりの地に行ってみたいという思いから、メキシコシティ帰りにニュー・オーリンズに立ち寄る。
ニュー・オーリンズでは、沢木耕太郎さんの「バーボン・ストリート」という本が好きだったこともあり、バーボン・ストリートに面した、立地の良いホテルに宿泊した。
夕方近くにホテルに到着した後、まずは、ニュー・オーリンズの象徴というべき、ライブハウス・プリザベーションホールへ。
プリザベーションホールでは、入場するまで店の前に並ぶのだが、わたしの後ろに偶然並んだのは、5~60代くらいの日本人のご夫婦だった。
日本を出てからまったく日本人に会わなかったこともあり、日本語に飢えていたのか、奥さんとはお店に入場するまで話が弾む。
プリザベーションホールの中は、立錐の余地がないほど人でいっぱいで、前方の人はミュージシャンのすぐそばの床に座り、わたしたちは後方で立ち見をした。
演奏もさることながら、アットホームな雰囲気やニュー・オーリンズでジャズを聴いているというシチュエーションに、まだアルコールが入っていないのに夢心地になった。
演奏後にはミュージシャンの近くに行くことができたので、笑顔で「Thank you」と声を掛け、背後の壁に貼ってあった日本語が書かれたイラスト入りのジャズのポスターを撮影して帰った。(ミュージシャンは撮影禁止だったと思う)
再びバーボン・ストリートに戻り、通り沿いのお店から漏れるにぎやかな音楽を聴きながら、落ち着いたジャズの流れるバーに入る。
カウンターで軽食とビールを注文し、食事が終わった段階で、プラカップに残ったビール片手に通りへ。
アメリカでは屋外でお酒を飲める場所は限られているが、ニュー・オーリンズは珍しく屋外でお酒を飲めるようになっている。
バーボン・ストリート沿いのお店は、複数あるドアが開きっぱなしになっているので、気軽に出入りしやすく、他のお店で頼んだドリンクも持ち込み可能で、何も注文しなくても居続けることもできた。
通りに出て、少し歩いたところで、同じくビールを片手に持っている、現地の人らしきおじさんと遭遇。
お互い酔っぱらっていることも手伝って、ニコニコしながらプラカップをぶつけ合って、通りで乾杯!
そのまま、反対方向へとすれ違った。
日本とは違い、舞台に立って歌うタイプのカラオケショップに入ったら、ライブ会場のように異常な盛り上がりを見せていて、何かこちらも楽しい気分になってくる。
やはり、アメリカ人は知らない人の前でもノリが良い。
カラオケショップを出て、通りをふらふら歩き、その頃習っていた絵の先生へのお土産を買うため、葉巻ショップに立ち寄った。
メガネをかけたカジュアルな服装のお兄さんはフレンドリーで、ショーケースにはコーヒー味とか変わったフレーバーがいっぱい並んでいて、煙草を吸ったこともないのに葉巻にちょっと興味を持った。
今まで葉巻に感じていた、高級感あふれるハードボイルドなイメージが覆されたからかもしれない。
葉巻ショップから出てきたら、目の前の建物の2階バルコニーから、色っぽいお姉さん方がビーズのアクセサリーを道に立つ人々に投げていた。
わたしも獲ろうと待ち構えていたが、運動神経がなく、獲れず。
近くに立っていた女性がゲットしたので、酔っぱらったいきおいで「いいな!」と口走ったら、何と譲ってくれた。
なので、思いっきり「Thank you」と言いながら、遠慮なく受け取ってしまう。
後から考えれば、いろんな店でそのアクセサリーは売られていたので、悪いことをしたな、と思ったが、その時はそこまで頭が働いていなかった。
アルコールが回って眠たくなってきたこともあり、23時過ぎにホテルの部屋に戻る。
窓を閉めても響き渡る音楽を聴きながら、ベッドでうとうと。
バーボン・ストリートの音楽が止んだのは朝の4時ころだった。
翌日は、アルコールが抜けきれず、少し朝寝坊。
カフェデュモンドで、名物のベニエ(白砂糖がかかったドーナツ)とチコリ入りコーヒーを食べようと行列に並んだが、時間がかかりそう&日本で食べたことがあるので、あきらめた。
近くのミシシッピ川で蒸気船を見てから、動物園行きのバス停に向かう。
バス停では、後から来た男性としばらくおしゃべり。
近々中国人女性と結婚するので、お祝いで男性の友人6人くらいでクルーズの途中だそうだ。
まだ若いのにクルーズ?と驚いたが、アメリカ人は結構気楽にクルーズ船を楽しむらしい。
中国人女性の話を日本人にするのってどうよ、とも思ったけれど、多分、彼は、東アジアに好意を持っていることを示したかったのかな。
というか、わたしのことも中国人だと思って話しかけたのかもしれない。
彼らは、動物園まで行かずに、ホールフーズマーケットや雑貨屋などが立ち並ぶ、おしゃれなマガジンストリートで下りていった。
わたしもバスの中から見ていて気に入ったので、ちょっと遠いけれど、帰りは歩いて帰ると決める。
オーデュボン動物園では、ピンクフラミンゴなどの生き物だけでなく、社交ダンスする人々を見かけたり、野外コンサートを見ながら、屋台で買ったジャンバラヤやビールを楽しんだりもした。
帰りに通ったマガジンストリートは、期待通りにセンスの良い店が揃っていて、見るのが楽しかったけれど、カトリーナの被害に遭ってそのままの状態になっている建物も数軒あった。
動物園からホテルまでは結構距離があり、夕日が沈んで暗くなってきた。
そんな時間帯に、人通りがほぼない、ラファイエットセメタリー(墓地)近くの通りで、アフリカン・アメリカンなお兄さん2人組とすれ違う。
背も高く、何かあったらどうしよう?と一瞬不安に襲われるが、彼らは「Good evening」 と丁寧にあいさつをしてくれた。
おそらく、ビビッていたわたしを安心させたかったのかも知れない。または、普段からフレンドリーなのかも。
見かけで判断してごめん、と思った。
こんな時間に女1人で歩くのはあまりおすすめできないが、特に何事もなく、ホテルに到着する。
ニュー・オーリンズは、バーボン・ストリートのあるフレンチ・クオーター周辺以外は、夜の治安があまり良くないらしい。
すでに夜遅いし、名残惜しいが、これから空港に向かい、日本に帰らなければならない。
本当に一瞬しかいられなかったけれど、ニュー・オーリンズはホスピタリティーにあふれていて、一見の観光客にも優しい町だった。
また海外に行けるとしたら、バーボン・ストリートで、いつかまた乾杯してみたいな。