ごく普通の高校生が、部活動をきっかけにライフワークに目覚めるまで
日本の伝統楽器・お箏(琴)演奏家のAmiです。
ご覧いただきありがとうございます!
お箏をやっていると言うと、「小さい頃から習っていたの?」と聞かれることが多いのですが、私がお箏を始めたのは地元和歌山の高校で、「箏曲部(そうきょくぶ)」に入部したことがきっかけでした。
めずらしい部活かもしれませんが、最近では『この音とまれ!』という、箏曲部を舞台にした漫画が流行ったりもして(TVアニメにもなってます)、知名度が上がっている気がします。
今回の記事では、箏曲部での思い出を中心に、ごく普通の高校生だった私が演奏家になるまでをお話ししたいと思います。少しでも楽しんでいただけますと嬉しいです!
▍箏曲部への入部
私が高校時代、箏曲部に入部した理由は、ずばり「練習が楽そうだったから」です(笑)
和歌山県和歌山市出身。幼少期よりピアノを習っており、楽器を演奏するのが好きでした。
中学では「楽器をやりたい!」と吹奏楽部に入部。仲間と合奏する楽しさを味わいましたが、それ以上に練習がとにかくハード!土日はもちろん長期休暇まで、空調もろくに整っていない部室で練習漬けの毎日でした。引退を迎えたときには、「高校ではもっと楽に生活したい...」と心底思いました(笑)
そして高校入学後、「音楽系で活動がハードでないところ」という単純な理由で、箏曲部を選びました。平日放課後のみという練習量が、丁度いいなと感じたのです。
当時は和楽器や伝統文化にもそこまで興味がなかったので、はじめてお箏に触れたときも「ふーん、こんな楽器があるんだ」くらいの印象しかありませんでした。
今では朝から晩までお箏のことを考えているというのに(笑)何気ない選択が人生を大きく変えるものだなぁと、今となっては思います。
▍人生を変えた師との出会い
箏曲部に入って数カ月がたった頃、人生の大きな転機がやってきました。
箏曲演奏家・西陽子先生との出会いです。
当時より世界中で活躍されており、国際会議や万博などの大舞台で演奏されていた西先生。超多忙なスケジュールをぬって、年に数回、母校の箏曲部の指導にきてくださっていました。
先生に初めてお会いしたのは高校一年生のとき。8月に控えた県のコンクールに向け、部員一同で合奏練習に励んでいた時期でした。余談ですが、コンクールが近づくと土日や夏休みも朝から晩まで練習があり、「事前情報とちがうじゃん!」と心の中で叫んでいました(笑)とはいえ、ハマると夢中になってしまう性分ゆえ、練習にはしっかり打ち込みました。
先生がレッスンに来てくださる前日から、部員一同そわそわ。先輩方の指示に従い、部室を隅々まで掃除し、座布団を日干しして、先生をお迎えする準備をしました。ピリピリとした緊張感を肌で感じながら、私は「お箏のすごい先生というと、和服を着て髪をかっちり結わえたような、お堅い感じの方なんだろうな」とイメージしていました。さまざまな演奏家の方々を知った今、改めて思えばすごい偏見ですよね(笑)
そしてレッスン当日、期待と不安にドキドキしていた私の前に現れたのは、ワンピースの上に赤いスプリングコートを纏った、華やかで都会的なかっこいいお姉さん!思い描いてたイメージとのギャップに衝撃を受け、「伝統音楽の第一線にいる方って、こんなに洗練されていて素敵なんだ」と強く憧れたことを覚えています。
新入部員の私たちにも気さくに接してくれた先生ですが、レッスンが始まると雰囲気が一変。
静かに目を閉じ、圧倒的な集中力で合奏を聴いては、強弱、テンポ、タイミング、音のイメージまで、次々とアドバイスをくださいました。構造物にデザインがあたえられ、美しいかたちに組みあがっていくように、私たちの合奏がどんどん変化していったことを覚えています。
同じ楽器と、同じメンバー構成で、ここまで音楽が変わるなんて!これまでピアノや吹奏楽など、さまざまな音楽経験を積んできた私にとって、初めての衝撃的な体験でした。
同時に、音に生命が吹き込まれていく感覚に、「音楽ってこんなに楽しいんだ」と心の底からワクワクしました。また、先生のお手本を間近で聴いたときには、「この素朴な楽器から、こんな多彩な音が出せるんだ!」と、千年以上の歴史を持つお箏のパワーと可能性に圧倒されました。
この感動こそが、私のお箏人生の原点だったと思います。
さて、レッスン後、数時間の正座でしびれきった足を伸ばしていると(先生はレッスン中も「崩しても良いよ」と声をかけてくれたけど、さすがにできなかった(笑))、先生が「これでみんなの分のアイスを買ってきて」と小さなお財布を渡してくれました。
同級生と2人で近くのコンビニまで自転車で走り、人数分のアイスを買い(たしか箱入りのガリガリ君だったはず)、部室に帰ってみんなで食べました。初夏の蒸し暑さのなか、合奏練習で火照った身体にアイスの冷たさが沁みたこと!
そして世界で活躍されているすごい先生が、高校生の私たちと一緒にコンビニのアイスを食べてくれていることに、なんだかこそばゆい気持ちになりました。
ちなみに合奏練習を指導していただいたのは、2~3年生の先輩方による『箏合奏のためのオデュッセイア(新実徳英 作曲)』、そして私たち1~2年生による『黒田節による幻想曲(沢井忠夫 作曲)』でした。そしてこの年のコンクールで優勝し、全国大会への出場権を獲得。さらにはその翌年の全国大会で第2位を受賞...というミラクルが続くのですが、その話はまた別の機会にお届けできればと思います。
▍演奏家になるまでと、これからのこと
部活を引退するまで、西先生のレッスンは10回にも満たないほどでしたが、「この先生から音楽を学びたい!」と強く思うようになりました。
もっとも、西先生のお人柄や音楽性に惹かれていた部分が大きかったので、先生がいなければお箏を続けなかったと思いますし、もしくは先生が別の楽器を演奏されていたら(たとえばギターやヴァイオリン?)、私もその道に進んでいたかもしれません(笑)
大学卒業後、地元の企業に就職し、同時に西先生の門下に入りました。
お稽古は月に1度。音色の豊かさや奏法のバリエーション、伝統的な古典曲から前衛的な現代音楽まで、お箏の魅力をたくさん教えていただきました。
お箏をもっと知りたい、少しでも先生に近づきたいと、毎日仕事が終わってから夢中になって練習しました。休日にいたっては丸一日弾きこむこともありました(笑)
また、西先生からは演奏技術だけでなく、人生の軸となる感性や価値観も学びました。このあたりのエピソードはnoteでも投稿していきたいと思っております。
20代半ばからはコンクールにも挑戦し、多くの入賞を果たしました。同時期より、イベントや商業・宿泊施設での演奏のお仕事をいただくようになりました。
2022年には、生活の拠点を東京に移しました。30歳を過ぎての上京、後戻りできない不安もありましたが、「文化の中心でより多くの音楽に触れたい」「自分の可能性を広げたい」という思いで決断しました。もちろん、背中を押してくれた西先生の存在は言うまでもありません。
上京して1年ほど経った頃から演奏の仕事も増えはじめ、本年(2024年)度、ついに「箏曲演奏家」として開業届をだしました!会社勤めをしながらではありますが、これからも活動の幅を広げていきたいと思っています。
今秋には初めての海外公演をはじめ、イベントやコンクールを控えており、今からワクワクしています。また長期的には、自身の教室を開きたいと思っていたり。30代も半ばにさしかかりましたが、夢は膨らむばかりです!
これからもお箏を自身のライフワークとして、生涯続けていきたいです。
演奏家としての活動については、私のウェブサイトにも掲載しておりますので、ぜひご覧ください。
...というわけで、以上が私の演奏家としての半生でした!(ぱちぱち)
何気なく選んだ高校時代の部活動が、人生をここまで変えるとは!お箏を通じて尊敬する師に出会い、成長を導いてもらえたことは、本当に幸運だったと思います。
これからも演奏家として腕に磨きをかけるとともに、私もいつか西先生のように「人に影響を与え、可能性を引きだす」存在になりたいです。まだまだ長い道のりですが、一歩一歩頑張ってまいります!
長い文章となりましたが、ここまで読んでくださりありがとうございました。少しでも応援いただけるようでしたら、ぜひ「いいね」をお願いいたします!
このnoteでは、今後もさまざまなトピックを発信したいと思っています。
好きなことを仕事にする
ライフハックあれこれ
お箏をはじめ和楽器の魅力
伝統や文化について考えること
私の個人的なエピソード
ご興味があれば、ぜひフォローいただけますと嬉しいです。
どうぞよろしくお願いいたします!
Ami