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夏の生き方

毎日のように“酷暑”と称される日々に関係なく、
時は流れるもので、
時間や日々も、夏場のアイスクリームのように、
暑さに溶かされるのではないか、という焦燥感に駆られる。

ベッドから起き上がり、
少ししっとりと汗をかいた身体とは対照的に、
窓を開けると昨夜のうちに干しておいた洗濯物は既にパリッと乾き切っている。
カンカン照りの太陽の光を乱反射させて、
生ぬるい風にただ揺られている。


いつも見ている朝の天気予報で、
暑さ指数が動物のイラストの表情で表されるのだが、
あんなに辛そうなウサギは他にいない。

自宅を出て駅まで歩くだけで、
じんわりと汗をかき、シャツが背中を這うように貼り付く。
クラクラして思考が停止しそうになる。

冷たいペットボトル飲料は、
周りの暖気を吸い取っては、ポタポタと水が滴る。

ジリジリと照りつけられた地面から、確かな熱気を感じる。

いつもあの駅で、来たる電車を待つおじさんは今日も険しい表情をしている。
暑さにまみれた人間を大量に乗せた鉄の塊が今日も発車する。

職場に着くなり、「暑いですね」のキャッチボールはもはや挨拶のようになり、
時にはそれが便利だったりもする。

オフィスは冷房がよく効いている。

キンキンに冷えた部屋で布団に包まるのと同じくらい、
キンキンに冷えた部屋でホットコーヒーを飲むのが好きだ。
飲んだ瞬間に、喉元を、首を通っていき、胃に落ちてゆく、じわっとした確かな感触を察知する。


仕事が終われば、いつもの様に近所のスーパーに寄り家路に着く。

エアコンの電源を付ける。
夏だからさっぱりしたものが食べたくて、
大好きな山形のだしを買っておいた。
みずみずしく、青々としていてさっぱりしている。

「シャキシャキ」というオノマトペは、夏の為に生まれてきたのだろうか。

そして氷を入れたグラスに炭酸水とウイスキーを注げば、私はもう今日という日を興じることが出来たといっても過言では無い。

キラキラと光に反射した氷は美しく、儚い。

毎年夏になると、五感が敏感になるような気がする。
薄着で肌に感触を感じやすいからか、空気の質感の移り変わりが激しいことなどもあるのだろうか。

平日は毎日職場との往復で、代わり映えのない毎日のように感じる。
退屈というものは、人に虚無感をもたらす。

それでも、
たしかに夏という季節に寄り添いながら、日々たしかに何か些細なことでも感じながら、
それを言語化したり、興じたり、
そうやってなんだかんだ暮らしていることに、自分なりの生を感じる。

暑さで日々が溶けてしまうことへの焦燥感に対して、
そんなにナイーブにならなくて良いのだと、
暑さそのものが教えてくれるのだと知った。




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