ぐらしあすの「近づきたいのに近づけない」
田舎に移住して友達出来ない。
移住してきて隣町のある店に入った。
そこでたまたま話をした男性が、同じバイク乗りだとわかり、話はそこそこ盛り上がり、一緒にツーリングに行った。
その人はツーリングサークルを作っていて、何かと言えば誘ってくれたけど、ことごとくぐらしあすの出勤日と被っている。
その旨伝えても、また誘ってくれた。
偶然にも同い年だった。
ぐらしあすは、自分のことを、今の関係性でできる範囲まで伝えようと思い、なかなか日が合わないけど、機会を作って2人で走りに行きませんかと提案すると、いいですよと言ってくれた。
ありがたいことだ。しかし、ぐらしあすは毎回気が引けて、とうとう自分から走りに行きましょうと言ったものの、連絡を閉ざしてしまった。
理由は、その人の勢い(エネルギー)にのまれそうだったから。
結局のところ、移住してきて初めて友達になりそうだった人とは友達になれなかった。
そりゃそうだ。走りに行きましょうと自分から言っておきながら、フェイドアウトしてしまったし。
理由はほかにもある。自分を開きたい反面閉ざしたい気持ちがあり、「元気が出ない。意欲が出ない。お金がない。自信がない。サークルに入ればツーリング仲間に会うのも気が重い。」などなど。
やたらと友達を作ろうとは思わないけど、たまたま出会って友達になりたいなと思っても、自分を開こう(自分の素敵な部分もどろどろした部分も含め)としないから、当たり前だ。
この問題がぐらしあすの苦しさの根源の一つ。
別に病気だ病気だとはやみくもに言うつもりもないけど、「自分はこういう人間だ」ということを自ら発信しなければ、相手にはぐらしあすがどんな人間なのか伝わらないし、反面「自分のことを知ってほしい」という願望と矛盾する。
昔と言っても30年ほど前に母はぐらしあすにこう言った。
「あんた、もっと自分を出しなさい」と。
そのことばとその時の母の表情、声は記憶にしっかりと残っている。
ならばどうすればいいか。
空洞に近いものを「芯」に変えていく。ゆっくりでいいから発信していきたいと思った。
ディプレッションまっさかり。ぐらしあすの「こころの声」を中心に、自分が体験したことや、時折感じる何のエビデンスもない、主観の記事も徒然に書いていきたいとおもいます。よろしくおねがいします。