通うことについて
今日も、500文字で何か書きましょうか。
おしゃべりするように。
「通う」ことについてずっと考えています。
学校には出会いがあって、強制による学びの強化があります。
学生になって、標準的な生活を送れば、得るものはたくさんあるでしょう。
けれど、標準的な生活の形を維持することに、持てる力を使い果たしてしまうなら?
学生生活は空虚なものになるでしょう。
その可能性を受け入れて、体力の向上を見込んで通学に挑むか。
夢の学生生活を拒み、ここにある体力を目標のために注ぎ込むか。
この対立が、僕の世界に存在します。
そこに、
一般論の拒否や、
卒業後の働き方の想定など、
数多の思考が絡み合い、
僕の世界は混沌としています。
大学とは何でしょうか。
卒業資格を得るだけなら、通信制大学をぎりぎりの成果で卒業すれば事足ります。
出会いも学びも、学校の外にたくさんあります。
就職の書類選考を通るために、こぞって大学の門をくぐるのでしょうか。
フリーランスで生きようと思うと怖ろしさが湧き上がるのはなぜでしょう。
自分の未熟さが生活の足を引っ張るとき、
世界が丸ごと恐くなるのはなぜでしょう。
分からないことばかりです。
今日はここまで。またいらしてくださいね。