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読書記録 陰翳礼讃②

 夜中の9時を回ったころ、正月は過ぎたものの未だ寒さは残り、5時ともなればすでに夕暮れであったのであるから4月ごろのことであったか。
 僕は家へと帰る途上にいた。その途中、2本の桜の木がある。そしてその日、桜は緩やかに散り始めた。
 桜の樹の下には屍体が埋まっている。梶井基次郎が言ったこの言葉を信じている人は多かったのだろう。夜、仄かに照らし出されている桜の花びらが散り、降り注いでいるのはこの世のものではないように思えるほど幻想的であった。梅の花が散ってもこうは思わない。あの桜の低く捻じ曲がった樹と花の薄く白い花があるからこそ、このように思えるのだ。
 これは、美しく幻想的であるけれども、同時に見たものを怖れさせる。畏れさせるといったほうがよいか。儚げなこの姿は、古来より人の心をとらえて離さなかったのではないか。日本の国章・国樹はそれぞれ菊花・桜だ。このように桜というのは日本人の中に深く入っているのではないか。古典にはよく紅葉が出てくる。しかしながら国樹はこれではないのだ。紅葉は、決してあやしい植物ではない。
 あやしいと書いたが、これは怪しいではなく妖しいである。夜、桜の花の散るさまというのは、不気味でありながらもどこか神秘的であり幻想的である。日中ではこうはいかない。仄かな月明かりに照らし出されて、仄かに光るその桜というものは妖しい魅力を帯びているのだ。
 よって、桜というものは古来から信仰の対象ともなっていたのではないか。日本の神というものは祟り神がおもである。日照りを起こす太陽の神や、津波を引き起こす海原の神など種々様々な神々はその多くが災害を引き起こす存在であり、それを抑えるために人々は崇め奉ったのだ。夜の桜というものは畏怖心を引き起こす。樹の下には屍体が埋まっていると思ってしまう。だから祭られ、人々の心に深く刻み込まれたのではないだろうか。
 そこで、一つ不思議なものがある。上記した太陽の神「天照大御神」と海原の神「須佐之男命」と並べて語られる神がいる。月の神「月読命」がそれである。
 しかしながら、月読命とは日本神話の中では極めて影の薄い存在であるといえる。天照大御神および須佐之男命はそれぞれ高天原と根の国を支配する身であり、天岩戸の神話や八岐大蛇退治などで名前を知らぬものはほとんどいないであろう。しかしながら、月読命だけはそうもいかない。同じく伊邪那岐命より生まれた兄弟神であるというのに、その業績はないに等しい。このようなことは他にも言える。
 元来、月と太陽とは兄弟とする神話は幾つかある。日本神話は勿論のことギリシャ神話もそうだ。しかしながら、そのどちらでも月はそこまでの力を持たないように感じられた。
 ギリシャの太陽神はアポロン、月の女神はアルテミスであると、本には書かれている。もちろん、それは正しいのであろうが一般に信じられている神はそれとは異なるだろう。そもそもギリシャ神話は日本神話と同じく自然を神として崇めたのだから、地域によって呼び名が異なるのは当然のこと。
 しかしながら、一般に太陽神として知られるヘリオスはティターン神族である光の神ヒュペリオーンの子。アポロンはゼウスとレトの子であるから、別の神であることは確かだ。つまりギリシア神話ではオリンポスの十二神と呼ぶ特に知名度の高い神の権能を別の神も持っているという状態になっている。果たしてどこで口伝が失敗したのであろうか。
 まあ、それはよい。ここでいいたいのは、太陽の神としての権能はアポロンからヘリオスに移った。これはよい。しかしながら、月の神としての権能はどこに行ってしまったのであろうか。セレネがそれに当てはまるのだが、日本での知名度はそれほど高くはないだろう。そもそもギリシャ神話にほとんど登場しないのだ。ここは月読と同じである。日本でもギリシャでも、月の神というものはあまり重要視されていないように感じる。
 このようなことは他にも言える。世界中で、月には動物が住み着いているといった神話がある。しかしながら、太陽に人や動物が住んでいるといった話は未だに聞いたことがない。太陽と月は長らく兄弟神や夫婦神とされてきているのに、動物の住むという伝承は片方にしかない。かぐや姫の話だって、月であって太陽ではないのだ。
 さすがに、神の怒りをかうような行動を人間はしなかったはずだ。となれば、太陽に動物が住むという考え方は祟りに触れるため「あり得ない」というのに、月に動物が住むといった考え方は問題がない、つまり「祟りがない」と考えていたのではないだろうか。つまるところ、月というのは太陽の兄弟とされておきながらも1段、場合によってはそれよりもずっと下に位置図けられてしまっているということに他ならない。
 その理由も、考えられる。日本の神は上にも書いたように荒ぶる神であったのだろう。だから、そこら中に祠を立て、家を建てる時にはその土地神を鎮めるために神主を招く。神の機嫌を損なわぬように様々な努力を、人々はしてきたのだ。それには祟りという概念があった。
 神の機嫌が損なわれれば、日照りが起きる。鉄砲水や津波、火山の噴火など様々な神が様々な災害を引き起こす。それを防ごうとするため、人々は神を称えてきた。対して月の神はどうだったのであろうか。
 現在では月の満ち欠けが潮の動きを齎すと分かっているが、昔はそんなことわからなかった。月が出ていようと出ていまいと、何も変わらず何も起こらなかったのだ。月という神は、ただ空にあって光っているだけでなにも人々に害をもたらさなかった。
 だから、崇め奉られることがないのだ。危険性がなければ、誰もそのために貴重な食べ物を捧げなどしない。ギリシャで言うならば牛を捧げもしない。危険性がなかったから、誰も月読命を率先して祭ることはしなかった。残ったのは肩書だけ。天照大御神・須佐之男命と同格の神として崇められることに失敗したのだ。
 とはいえ、月への信仰はそのまま廃れていくことはなかった。確かに神として崇められることはほとんどないが、それでも夜空に浮かび白く光り輝くその姿は十分に神秘的であり幻想的だった。
 たしかに月は神としての信仰を失った。けれども、だからこそ得た地位もある。おそらく日本人は月を好んだのだろう。風雅の象徴として用いられたのは太陽ではなく月であった。
 それは、月が大神ではなかったからではないだろうか。太陽と比べてより世俗的で、より神秘的であった。天皇家は太陽の神天照大御神の子孫であるのだから、太陽を描くのは不敬であるといった考えもあったのかもしれない。どちらにせよ、そんな人々の目が向かったのは月であったのではないか。
 月は決して偉大なる神にはなれなかったが、その分より人間に親しまれた。歌や詩、文学作品などを見てもわかるように太陽に筆を執った作品はそう多くない。月とはまさに月とすっぽんだ。そうして神秘的で幻想的な月が照らし出したのは、同じく神秘的であり幻想的でもあった桜だった。昼間、太陽の下ではたしかに黒くねじれた幹でありうすぼんやりとした花の色だ。しかし、「同類」たる月の光に照らし出されると話は変わる。そうしてそんな月を、そんな桜を人々は好んだ。それこそが日本人の感性の根幹をなしているともいえるのではないか。


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