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【日常で思うこと】ファイト・クラブはメロソーダの味がした
国道沿いのファミレスでメロンソーダを飲んでいた。
この味は、なぜか記憶にずっと残っている。
向かいのソファには、同級生の女の子がストローでアイスコーヒーをかき混ぜていた。
ぼくたちは付き合っているわけではない。
彼女にはカレシがいて、ぼくには憧れている女性がいた。
ただ、映画や音楽の趣味が似ていて、学校で話をすることがあった。
冬休みに入って2日目、ぼくは彼女から借りたアラニス・モリセットのCDを返しに、最寄りの駅まで来た。改札口で渡して「じゃあね」と踵を返してもよかった。でも、それはあまりにもあっけなく、寂しさに似た気まずさがあった。
「せっかくだから映画でも観に行く?」
彼女の提案に、ぼくは頷いた。
移動中の電車で、本当は自分が誘うべきだったのかもしれない……と思った。友人とはいえ、高校生になると異性との付き合い方について考えさせられることが多くなる。
デートで映画に行くと、カレシは何度も欠伸をして、後半には眠ってしまう。そのたびに彼女は誘ったことへの罪悪感に苛まれ、共有したかった感想も胸の奥から取り出せずにいる。そんなことを車内で話してくれた。
ぼくたちは映画館で「トゥルー・クライム」と「ファイト・クラブ」のどちらを観るか悩み、後者を選んだ。たぶんコイントスか、ジャンケンで決めたのだと思う。
資本主義への警鐘、広告と大量消費への皮肉。
高校生のぼくたちには、この映画のメッセージを完全には理解できなかった。ただ、傷だらけの上半身をさらし、タバコをくわえるブラッド・ピットはかっこよかった。
映画の後に立ち寄ったファミレスで、彼女は鬱憤を吐き出すように作品について考察を語った。 強い者に抗うダーク・ヒーローへの憧れ、アゴタ・クリストフの小説との共通点。ところどころに散りばめられた下品な言葉と演出。よほど気に入ったらしい。
ぼくはメロンソーダを飲みながら相槌を打っていた。甘くて、わざとらしい香りが口に広がる。
一通り喋り終えた後で、ぼくは彼女に向かって舌を出して見せた。
「緑色になってるかな?」
「バカじゃない?」という、彼女の呆れた声が返ってきた。
ぼくの突拍子もない行動も、彼女のセリフも、この映画の登場人物がやりそうなことだった。
あれから二十五年。
ぼくはブラッド・ピットやエドワード・ノートンが演じていた人物とは程遠い大人になった。彼女は熊本で一児の母親として暮らしている。
この間、妻と息子の好きなモンブランを買うつもりでケーキ屋に立ち寄ったとき、フッと当時のことを思い出した。
その店のショーケースに並ぶ精巧なケーキの隅には、緑色の液体の入った小瓶があったから。
商品名も値段も記載されていない。ひっそりと、居場所を持て余しているようだった。
「これ、なんですか?」
ケーキを箱に詰めている店員に尋ねると、厨房からひげを生やしたガタイのいい男性が出てきた。
「メロンソーダの素です」
よくメディアにも登場するパティシエだった。何度か店に来ることはあったが、その日、初めて話しかけられた。
「本物のメロンを煮詰めて作りました。着色料も甘味料も使っていませんよ」
メロンだけで、こんな鮮やかな緑色になるものなのだろうか。
「五対一の割合で炭酸水を2回に分けて注いでください。一気に入れると炭酸が抜けちゃうから。あと、レモンを絞っても美味しいですよ」
ぼくが興味を示したのが嬉しかったのか、パティシエの話は止まらない。ほとんどの客はケーキに目を奪われ、この小瓶の存在を気にしないのだろう。
「瓶は冷蔵庫で冷やしてください。濃い緑色をしていますが、割ると薄い青色になりますよ」
延々と続く話を「じゃあ、一つください」と切り上げ、店を出た。
久しぶりのメロンソーダ。もしかしたら、高校生以来かもしれない。
自宅に戻り、パティシエに言われた通りにグラスに原液を注ぎ、炭酸水を加える。
息子は目を輝かせながら、マドラーでかき混ぜていた。細かい泡とともに、懐かしい香りが広がる。本物のメロンを使っているはずなのに、高校生の頃に飲んでいたメロンソーダと同じ匂いがした。
ただ、あの頃飲んだ刺々しい甘さは感じられなかった。優しく、喉に違和感なく流れ込んでくる。
隣で一気に飲み終えた息子が、嬉しそうに言った。
「ねぇ、見て!」
緑色に染まった舌を出してみせる。
ぼくは思わず笑った。
泡の立つグラスを見つめながら、ふと考える。
国道沿いのファミレスは、まだあるのだろうか。
あのときのメロンソーダの甘さも。
了
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