【1000文字日記】インタビューはなるべく素がいいと思う理由
インタビューライターと名乗っているからか、「社交性があるんだね」「話を引き出すのが上手ですね」なんて言われる。
そのたびに、「ああ、この仕事を演じちゃってるのかなぁ」と思ってしまう。本当のわたしは、初対面の人と話すとドキドキするし、自分がどう思われているか心配になっちゃってしどろもどろなのだけど。
「さぁ、仕事だ」とスイッチが入るような感覚はある。でも、それを続けていると胃痛やじんましんがでることを、わたしは知っている。
身体が「仮面をかぶるなよ」と言っているのだと思う。今までの仕事がら、自分をよく見せる努力は必要だった。
でも、それじゃ身体が悲鳴をあげる。長生きしたい。元気に年齢を重ねたい。それならば、働く姿勢を変えなければならないと思った。
ちょっと自慢みたいで恥ずかしいんですが、編集者さんによく褒められるのは、「池田さんのインタビューは安心できます」という言葉。
その理由は、わたしの醸し出す「無害でっせ~」というオーラかもしれないし、ウェディング業界でバリバリ接客していたころの引き出しかもしれないし、はたまたリップサービスか、単に自分の調子がよかっただけなのかもしれない。
でも、「インタビューライターとして、これからもやっていけるんじゃないか?」と思わせてくれるには十分な、ありがたい言葉だった。
こうしていま、インタビューを中心に仕事をいただくようになったわけだが、書き手の先輩方の話を聞いて気が付いた。
「インタビューを極めるには、自分自身を成長させることが必要不可欠だ」ということを……。
それならば、成長過程で仮面をかぶり続けるのはどうなんだろう。いつか剥がれてしまうのではないか、という不安が募った。
俳優がさまざまな役を演じて人を魅了するのと同様に、インタビューライターも取材相手によってどのような聞き手であるべきかを見極め、自分の役割を徹底する必要があると思っている。
けれど、好きな俳優はどの役をしていてもやはりその人だ。その人の味が見えるからこそ、ストーリーに感情移入できる気がする。
それならインタビューライターにも「その人らしさ」があっていい、むしろ、あるべきではないかと思うようになった。
もうひとつ、仮面をかぶりながら人の話を聞くのはフェアじゃないと考えるようになった。
仕事として仮面をかぶるべきか、素であるべきか。実は今も行ったり来たりしていて、正直なところ自分がインタビューライターを演じているのか、池田アユリとして向き合っているのか、わからない。
世の中にはさまざまなライターさんがいて、自分が納得できるやり方をすればいい。今のところ、わたしは、素でありつつ、いい聞き手であることを目指したい。健康な状態でこの仕事を続けていきたいから、でもある。
(記:池田アユリ)