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“どう見られるか”より“どう関わるか”

会社の上司と話していると、時折気になる発言を耳にする。

それは、一緒に働いてもらっている派遣社員から自分がどう思われているかを過剰に気にしているような言葉が多いこと。

具体的には、「(チャットのやり取りを見て)最近、私に冷たいように感じる」とか、「私、○○さんに引かれてますからね」といった発言をする。それを聞くたびに「そんなことないと思いますよ」とフォローを入れるものの、なぜそこまで気にするのかは疑問だった。

私自身、仕事においては派遣の方に対して適切な指示やフィードバックを心がけることが重要だと考えており、相手が自分をどう思っているかにはあまり意識を向けてこなかった。そのため、上司の発言はやや異質に感じられた。

上司はどちらかというと仕事ができる人であり、指示は的確で細かいリスクにも注意を払える。その点に関しては尊敬しているし、学ぶことも多い。

しかし、相手の感情を過度に気にする姿勢には違和感を覚えていた。

なぜその発言に引っかかるのか自分でも明確に言語化できていなかったが、先日、ラジオ番組の相談コーナーで聴いた内容によって、少し腑に落ちた。

他人からどう見られているか気になってしまうというと、すごく自分が小さく、弱くて、気にしいみたいな感じだが、違います。自分のことしか考えていない勝手な人です。

ジェーン・スー 生活は踊る

この言葉を聞いて、自分が上司の発言に抱いていた違和感の正体が見えてきた。

他人からどう見られているか多かれ少なかれ気にしてしまうこと自体は、これまでの人生のなかで醸成されたものだから自分のせいにする必要はないとしつつも、その考えに気づいて脱却するのは自分自身でしなければならないとの指摘だった。

私自身も他人からどう見られているか気にすることはあるが、そこに固執することは「相手の感情を決めつける行為」であり、不遜な態度だと考えるようになってからは、意識的に気にしないようにしてきた。

自分の中でこういった思考のサイクルが形成されていったのは、さまざまな本や記事を読んで、多様な視点に触れたりすることで、自分の考えを広げる訓練を無意識のうちに続けてきたからだと思う。

上司の発言も「相手が自分のことをどう思っているか?」という視点に端を発している。つまり、実際の相手ではなく、「自分の中にいる他者」が自分をどう見ているかという想像に囚われているからこその発言だと思う。

これは、一見すると相手を気遣っているようでいて、実際にはフォーカスが自分に向いている状態と言える。

例えば、「メンバーが働きやすい環境にするためには何をすべきか」と考えることは、相手にフォーカスが向いている。しかし、「働きやすい環境を作ることで、メンバーから感謝される自分になりたい」と考える場合、フォーカスは自分に向いている。

この違いは小さなようでいて、本質的には大きなズレを生む。

このようにフォーカスが自分に向いたままだと、いずれ「ここまでしたのに!」と相手に何かしらの報酬を求める考えにつながりかねない。そうなると、相手に感謝されないことに対する不満や、自己犠牲の意識が芽生えてしまうと思う。

では、どうすればフォーカスを相手に向けることができるのか。自分なりに考えてみた。

ひとつの方法は、「相手の行動を事実ベースで捉える」こと。

例えば、「相手が自分に冷たい」と感じるのではなく、「最近、相手が業務上のやり取りを減らしている」など、主観を排除して状況を観察する。そのうえで、「もしかしたら業務が忙しいのかもしれない」と推測し、実際にサポートが必要かを尋ねる。そうすることで、不要な思い込みを排除し、相手本位の行動をとることができる。

もうひとつの方法は、「自分の役割に徹する」こと。

仕事においては、感情のやり取りよりも適切な指示やサポートを提供することが優先される。上司であれば、部下の成長や業務の円滑化を第一に考える。そうした目的を明確にし、それに沿った行動を取ることで、自然とフォーカスは相手に向くと思う。

最終的に、他者の評価に囚われることなく、相手に本当に必要なことを考える姿勢を持つことが大切なのではないかと感じる。

その意識を持つことができれば「自分がどう思われているか」ではなく、「相手がより良い状態になるには何ができるか」という本質的な問いに立ち戻ることができる気がする。

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あまやく
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