●2021年12月の日記 【中旬】
12月11日(土)
このあいだ仕事でむちゃをして痛めた脚のズキズキがいっこうにおさまらないから観念して整形外科に行った。
案内されるままにパジャマみたいなズボンに履きかえて透明な硬い寝台に横になり、レントゲン写真を撮られた。
それから医師といっしょに写真を見た。
PCに映し出された3つのアングルからのわたしの骨は、どれもすごくきれいで見とれてしまった。白くくっきりと浮き上がる骨。こんなきれいなものが入っているわたしってなかなか素敵な生き物なんじゃない? と希望がわくくらいだった。
しばし痛みも忘れて画面を見つめていた。ここ最近で一番鮮やかな感動をおぼえたので自分でも驚いている。
骨には何も問題がないようだから、とりあえずは痛みを抑えながら様子を見ましょうということになった。痛み止めの塗り薬と飲み薬をたんまりと処方してもらって帰った。
夕方からは仕事だったから痛み止めで痛みを止めて出かけた。美術モデルとしてポーズをとるには痛みがあっては難しいので、飲み薬はほんとうにありがたい。
仕事先のアトリエの更衣室には骨格標本がいた。等身大である。いつもはしないんだけど今日は「ちっす」って挨拶した。標本の脚が、さっきレントゲン写真で見たものとそっくり同じであることに感心した。
更衣室を出て仕事をはじめる前に握手もした。手の骨は細かく、しゃらんとした手触りがした。
12月12日(日)
小籠包好きの友人に食べかたをレクチャーしてもらいながら小籠包を食べた日曜日。横浜中華街にて。
「小籠包は熱いうちに食べろ」を心に刻んだ。熱くなくなるともはや別モノである。
子どもに買ったいちご飴をひと粒もらった。夢のある食べものだなあと思った。
まだ熱い甘栗を買って、山下公園の噴水のまわりに座ってみんなで食べたのが、楽しかった。
氷川丸という昔の船をたぶん子どものとき以来で見学した。階段を昇り降りするところがけっこうある。船室などすごくきれいに整えてあるし、見どころが多い。それなのに300円で入れた。
船長室や動力室を見て「今も動かそうと思えば動くんかな?」と言うと、友だちが「いや、死んだ船でしょ」と言った。死んだ船……
12月13日(月)
5時に起きるつもりでいれば5時半には起きられるし、何があっても7時半に出るつもりでいれば7時50分には出られる(覚え書き)
今日は幼稚園に子どもを送っていくなり教諭が「電車が止まっているみたいです」と言った。わたしはあわてていつもより雑に子どもと別れ、バスを使って仕事先に向かった。
バスも止まった(ひどい渋滞)。
「ここで降ろしてくれ」とドアを開けてもらう人に便乗して(降りるのに便乗っていうのおかしいな)バス停でないところで下車した。みんなといっしょにずんずん歩いた。
なんやかやで仕事には間に合った。
12月14日(火)
幼稚園の行事。朝からてんやわんや。
行事(園児らによる劇、保護者も観られる)では、幼児が「その気になればできること」をこれでもかと見せつけられて衝撃を受けた。歌に踊りに長いせりふ…。だれひとりボイコットすることなく。子どもたちがすごいのはもちろんだし、教諭らの「ノセる努力」は並々ならぬものがあっただろうな、と感じた。
子どもとの帰り道には
「すごかったね、素敵だったよ」
「どのくらいすごかった?」
「こーーーー〜〜〜……のくらい!」
というやりとりを3、4回した。
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きょうの調理:
白菜を大量に切ってとにかく漬けるやつ
ひらひら大根と豚肉の煮物
12月15日(水)
美術モデルの仕事では長い時間身体の動きを止めるためか、終えたあとはいつも動くこと、とりわけ歩くことに無上のよろこびを感じる。今日の終業後は特にそうで、夕暮れどきの見知らぬ街を30分ほどズンズン歩いた。途中通り抜けた墓地がよかった。東京に住み、都立の霊園を何箇所か通り抜けるうち、墓地に持つイメージが変わった。広々として視界のひらけた霊園は歩くのにとても気持ちよいことがわかったのだ。
人がいないからマスクを外した。真面目に呼吸をするのは久しぶりだなあと思った。
12月16日(木)
今日、仕事のヤマを越えた。
明日から年末年始にかけては仕事のスケジュールが緩くなる。うれしい。
だからって今日の仕事で身体を使い切る必要はなかった。なかったと思うのだよ。
仕事からの帰路、わたしはたいへんボロッ…としていた。していたが、そのまま子どもを迎えに幼稚園に行った。クリスマス会を終えた子どもたちのらんらんとした輝きで溶けそうになったが、持ちこたえた。
からあげを買って帰った。おまけでタルタルソースとヤンニョムたれをつけてもらった。残された力をふりしぼってキャベツをせんぎりにして添え(子どもの要望による。徳の高い要望だ)、クリスマス会の出し物でがんばった子どもをねぎらいつつ家族3人で食べた。
12月17日(金)
浅草花やしきに行って友だち親子と遊んだ。花やしきは遊園地。わたしも子どももはじめて行った。思えば子どもと遊園地に入ること自体はじめてだった。
花やしきは味のある遊園地だった。
お化け屋敷的なアトラクション「スリラーカー」が外から垣間見える部分だけでも明らかに恐ろしくて、子どもたちは前を通るときダッシュしていた。これは古い遊園地のホラーハウスならではの、経年変化で加算されたおどろおどろしさだなと思った。使われているアイテムのセンスが古いところも(髪の長い女性のマネキンとか)、やたらゾクッとさせてくる。
友だちはホラーハウス以上に鳩を恐れていた。花やしきの敷地内を闊歩する非常に馴れ馴れしいドバトたち。わたしも鳩が寄ってくるのは苦手だ。しつこい!って思う。しかし周りを見ると足もとに寄ってくる鳩にスナック菓子をやって面白がる人びとも散見されたので、わたしがドバトでも同じようにするだろうなあと思った。遊園地適応型の鳩たち。全体的に肥えている。
乗り物を楽しんだり鳩におびやかされながら買い食いをしたりして楽しく過ごすうち、3時間近くが経っていた。満足して出口を出るとそこには大量のガチャガチャコーナーがあった。ひい、最後まで子ども連れにお金をしぼり出させることに余念がないぜえ〜〜! と怯えたが、数分後にわたしはホクホクで自分のためのガチャを回していた。
12月18日(土)
夕方わたしが仕事に出ている間に夫が激うま豆乳鍋を作ってくれた。
はりはりの水菜が最高においしかった。子どもは寝てしまって食べられなかった。
12月19日(日)
とっておいた具材と出汁で昨日の激うま豆乳鍋を夫がもう一度作って朝ごはんに出してくれた。今度は子どもも食べられた。ハフハフしていた。
夫と子どもがでかい公園へ出かけている間、わたしは忘れ物を取りに行ったり高円寺で古着を買ったりした。
夜はキウイを煮た。
12月20日(月)
午前中、駅ビルの中にある美術教室で絵画モデルとしてポーズをとっていた。今朝の寒気は強く、わたしの衣装は薄いためか、教室にはあらかじめ過度に暖房を効かせてあった。
わたしは決められた姿勢で動きを止め、壁のある一点に目線を合わせた。受講生の筆は思い思いにキャンバスとやり合う控えめな音を立て、となりのウクレレ教室からは気だるいメロディが届いて、天井から吹き出すぬるい風と相まってまどろみを誘うけど、コーヒーを飲んできたから屈することなく、わたしの意識は保たれていた。
身体を静止させることによる些細な、でも継続的な痛みに包まれて、駅ビルの中で時間がゆっくり過ぎていくのを待ちながら、つくづく、面白い仕事をしているものだなあと思った。面白い仕事というか、「わたし何してんだろ」というか。定期的にふとそう思うのは嫌いじゃない。頭には羽根のついたロシア製の派手な帽子を乗せて、きりりとした眼差しで壁を見て。
ポーズ時間が終わって見ると衣装のスリップにちりばめられたラメが身体のそこここに移ってちらちら光っていた。