【教育改革】僕は「教えること」をやめる
こんばんは。
このnoteを読んでいただき、
ありがとうございます!
最近、自己分析をするものの
2歩進んで2歩戻っているような感覚に
陥っているつよまるです。
先日参加した2020教育zoomセミナーで
キャリア教育の話を聞き、
もう一度自分について
考え直そうと思いました。
今回は
僕は「教えること」をやめる
を発信していきます。
一言結論
「何者か」になるには
やらないことを決める
何かを「始める」のではなく「やめる」
あなたは自分自身が
「何者か」
答えることができますか?
僕ははっきり答えることができませんし
今そのために勉強中です。
この問いについて
西野亮廣さんの考え方を
参考にします。
今の時代たいていの物は
手に入れることができます。
情報の発信も誰だってできます。
その状態で
あの人から欲しい!
と言ってもらうには
キャラクター性が必要になります。
「どういう奴か?」
「お前は何者だ?」
という問いに対する答えのことです。
この答えを明確にする方法が
ひとつあります。
それが
「やらないこと」
を決めることです。
やること・できることを増やそうと思えば
無限に選択肢があります。
しかし実際は時間的、容量的にも
正直厳しすぎます。
だから
「やらないこと」
を決めるという
逆のことをするということです。
西野亮廣の場合は
色は使わずに
「0.03mミリのボールペンしか使わない」
ということを決めています。
日本の水墨画が評価されるのも
「色がない」という制限が
あるからでしょうか。
自分の能力をもう一段階高め、
「何者か」の問いに答えるためには
あえて自由を奪い、
制限することが必要です。
僕は「教えること」をやめる
僕は
「教師がいかに教えない授業をするか」
をテーマに研究しています。
子どもが主体的に学ぶ授業には
大きな効果があります。
(効果が出るまで時間はかかります)
「教えること」をやめることで
僕は教師の世界で「何者か」を
語ることができる気がします。
これが他の先生方との差別化になり、
自分の価値になると思っています。
それにしても
「教えること」をやめるのは
教師になる身としては
大きな決断ですね。笑
まとめ
今回は
僕は「教えること」をやめる
を発信しました。
もし、
ここまで読んでくださったあなたが
自分自身のことを「何者か」
答えることができないなら、
何かをやめるのはどうでしょう。
僕の場合は
「教えること」をやめる
です。
自分のレベルを上げるには
自由より制限が必要です。
「教師がいかに教えない授業をするか」
についてのアウトプットは
これからnoteで発信していくので
読んでいただいてる先生方
お子さんがいる家族の方に
届けばいいなぁと思っています。
最後まで読んでいただき、
ありがとうございます!!
また明日!ドロン!