【連載小説】トリプルムーン 23/39
赤い月、青い月、緑の月
それぞれの月が浮かぶ異なる世界を、
真っ直ぐな足取りで彷徨い続けている。
世界の仕組みを何も知らない無垢な俺は、
真実を知る彼女の気持ちに、
少しでも辿り着くことが出来るのだろうか?
青春文学パラレルストーリー「トリプルムーン」全39話
1話~31話・・・無料
32話~39話・・・各話100円
マガジン・・・(32話掲載以降:600円)
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***第23話***
夜の海は人影もなく、遠く離れた場所にある街灯だけが浜辺をほんのり薄闇に演出していた。
さざ波は柔らかい音を立てながら砕け散り、潮の香りを含んだ肌寒い風を浜辺に運んでいた。
遠くに見える沖合の海は、夜の闇に黒く塗りつぶされ、全てを呑み込むようにしながら幾つもの波をうねらせている。
夜空の中心に浮かぶ赤い月は、真っ直ぐな一筋の光を海の上に落していた。まるで船が錨を降ろして沖へ流れるのを防ぐように、月は光を暗闇に落とすことで、世界の絶妙なバランスをなんとか繋ぎ止めているようだった。その美しい光景は、どこか俺の心をほっとさせた。
「少し寒いかな?」
「ううん、大丈夫だよ。私は。」
そうか、と俺は一安心すると、とりあえず少し歩こうかと彼女を促した。サラサラとした砂浜は、石ころや貝殻が転がっていることもなく、歩くとサクサクと小股の切れ上がった気持ちの良い音を立てた。
雲一つない星空は無限に思えるほどに大きく広がり、その中心に堂々たる佇まいで赤い月が浮かび上がっていた。
月は真っ赤な輝きとは裏腹に、寡黙でクールな表情でこちらを見つめている。もしかすると、その表情の奥はニヤニヤとした満面の笑みを浮かべているかもしれない。
なんとなく今夜の月は、いつもとは少し違う不思議な怪しさを漂わせているような気がした。
「きれいな満月だな、まんまるで大きくて真っ赤っかで。」
「うん、そうだね。」
「確かにお前の言ったとおり、今夜の満月はいつもより色濃くてすこし大きい気がするかも。」
「言ったでしょ、今夜は月もそういう気分なんだよ。」
潮風はまとわりつくようにしながら、俺たちの頬や髪を撫でていった。どこか知らない世界から運ばれてきたような黒い波は、遠慮がちな潮騒を奏でながら、寄せたり返したりを繰り返している。
遠くで犬がワンワンと吠えている声が聞こえた。その犬をたしなめるような、飼い主らしき女の人の声も微かに届いた。もしかしたら今夜は本当にオオカミ男が出るのかもしれない。ふと、そんな考えが頭をよぎったりもした。とても静かな海だった。
俺たちは特に言葉を交わすこともなく、二人で静かに浜辺を歩き続けた。砂浜は、俺たちの足音にたくさんの余韻と含みを持たせ、この静かなシチュエーションをさりげなく盛り上げてくれているようだった。
打ち寄せる波は、年季の入ったジャズクラブのバンドのように、静かなスウィングを絶えず繰り返している。
月と星は、キラキラという音のないハーモニーを空の上から囁いていた。しかし、よくよく耳を澄ませば、それらの音色はこちらに向けて、ただの下世話な野次を飛ばしているだけかもしれなかった。
俺は必要以上に耳を澄ますことはやめ、何も考えず無心で彼女の隣を歩き続けた。
俺たちは無言のまま歩いていたが、そこには言葉以上に何かを語り合う、心の交流が含まれた優しい沈黙があるように感じられた。
沈黙が何かを語りだすなんて、俺には初めての経験だった。彼女もそんな風に感じてくれていたら嬉しいなと思った。
そして同時に、きっと彼女もそう感じてくれているだろう、という確かな手応えもそこには含まれている気がした。
二人並んでしばらく浜辺を歩いていると、不意に彼女の指先と俺の指先が触れ合った。互いの温もりを感じて一瞬びっくりしながらも、俺たちは申し訳なさそうに同時に手を引っ込めた。
心が何かで満たされていく不思議な温かい感触があった。それは多分生まれて初めての感覚だった。やがて心の中が何かで満ち足りたとき、俺たちは自然と歩くのを止めて月を見上げはじめた。
長い沈黙があった。お互いに顔を見たりすることもなく、手を握ることもなく、ただただ黙って夜空に浮かぶ月を見上げていた。
彼女はおもむろに両手を上げて、うーん、と大きく伸びをした。その時、胸の中に溢れ返っていた俺の想いは、思いがけず口をついて外に飛び出していた。
「好きだよ。」
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