【連載小説】トリプルムーン 22/39
赤い月、青い月、緑の月
それぞれの月が浮かぶ異なる世界を、
真っ直ぐな足取りで彷徨い続けている。
世界の仕組みを何も知らない無垢な俺は、
真実を知る彼女の気持ちに、
少しでも辿り着くことが出来るのだろうか?
青春文学パラレルストーリー「トリプルムーン」全39話
1話~31話・・・無料
32話~39話・・・各話100円
マガジン・・・(32話掲載以降:600円)
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***第22話***
店内は広く、ビールやワインを傾けながらステーキを楽しむ客で盛り上がっていた。照明は蛍光灯のような昼白色の明るい色合いではなく、ガス燈やランプの灯りを思わせる暖光色の明かりが、壁や柱から間接的に灯されていた。
赤茶色の煉瓦の壁や、濃いブラウンの木材が敷き詰められた床が、淡いオレンジ色の光を受けて懐古的で心温まる空間を作り上げている。
出迎えてくれたウェイターに予約している旨を伝えると、リザーヴですね、と返事をしてもらい、丁寧に奥の予約席へと案内してもらった。
端正な顔立ちのウェイターは、彼女が座る椅子をさりげなく引いてあげると、後ほどオーダーを伺いに参ります、とお辞儀をしながらするりとシェフのもとへ帰っていった。
「三十歳ともなると、お店選びもずいぶん大人になるものだね。いいお店じゃない、ここ。ウェイターの顔までこだわり抜かれてるって感じで。」
「まあな、あのウェイターにはしこたまチップを渡しておいたから、帰るまでにあと三回はスペシャルサービスを提供してくれるんじゃないかな。」
「チップだけじゃなくて、可愛いお花も渡してあげたんじゃないの?」
「ああ、あいつにはとびきり真っ赤なバラをプレゼントしてやったさ。泣いて喜んで、危うくキスされるところだったよ。」
「とんだプレイボーイだね。デートは首尾よく抜かりなく、ってところなのかな。」
「そういう訳じゃないさ、ただお前と二人でうまい酒が飲みたかっただけだよ。」
「それは光栄だね。ありがと。」
メニューを見ながらそんな話をしていると、先ほどの端正な顔立ちのウェイターが現れた。
俺たちはステーキと赤ワインを注文すると、ウェイターは上品な口元を開いて白い歯を見せながら、かしこまりました、と笑顔を残してその場を立ち去った。
それはあと二秒でも彼の顔を見つめていたら、ウィンクでも返してきそうなほどに完璧な笑顔だった。
予想通り、というか予想以上にステーキは美味しかった。ミディアムで頼んだ肉は完全なるミディアムで、分厚い肉は柔らかくとろけながら、口の中で溢れる肉汁を滴らせてくれていた。
シンプルな塩胡椒のスパイスは、肉の野性的でジューシーな旨みを最大限に引き立てつつ、刺激的な香りで胃液や唾液の働きを活発に走り出させている。
赤ワインは飲みなれていないものの、肉や脂を放り込んでエキサイトした俺の内臓を、芳醇なアロマと熟成されたまろみで官能的にたしなめられているような最高の相性を感じた。
「デリシャス。」
「まさに。」
うまい料理に素直に感動しながら、俺たちは心ゆくまでステーキとワインに舌鼓を打った。
互いに赤ワインのグラスを2杯飲み、満腹とほろ酔いでずいぶんと満たされた気持ちになっていた。
ひとしきり料理を食べ終える頃になると、ウェイターがテーブルのグラスに水を注ぎにやって来た。
俺たちは互いに口元をナプキンで拭きながら、ウェイターが水を注ぐ様子を、まるで食後のデザートを楽しむようにじっと眺めた。
ウェイターはにこりと微笑むと、不倫相手がこっそり逢引のメモを置いていくように、会計の札をテーブルの端に静かに置いて行った。それはステーキとワインの余韻を邪魔することのない、優雅で洗練された動きだった。
「きっと今夜は、いつもよりも赤くて大きな月が見えるだろうね、うん。」
「え?いつもより、月が?オオカミ男が現れるからか?」
「う~ん、それもあるけれど、どっちかって言うと、月がそういう気分なんだよ、今夜は。」
「気分次第で色や形が変わるのか。ふ~ん、お月さまも、わりに気分屋でいい加減なんだな。」
「そう、そういうものなんだよ、いい加減なのよ、意外と。女心と秋の空。男心と宵の月、ってね。」
「前半は聞いたことあるけど、後半は初耳な気がするぜ。」
「ふふ、ほろ酔いの女の子に正論言うなんて、あなたって意外とつれないんだね。」
「それは失礼しました。女心と秋の空、男心と宵の月、黒猫のぞいた池の月、ってとこですかね。」
俺たちはひとしきり食後の会話を楽しんだあと、会計を済ませて店を出ることにした。外へ出ると、街はほろ酔いで気分の大きくなった人で溢れていた。人々は、わあわあと活発な声をあげながら店から店へ渡り歩いている。
俺たちはタクシーをつかまえ、月が見える海へ行こうと、街外れまで少し車を走らせてもらった。
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