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おぎやはぎがちょうど良い

突然ですが、おぎやはぎが建築デザイン的にちょうど良いということに気づいてしまいました。

尖りすぎず野暮ったすぎず、親しみを覚え愛されるデザインとは何ぞやということを日々考えています。その日々の研究から、格好良さと親しみやすさをグラフにすると、このようになることが分かりました。
※下川独断と偏見調べ

ダサい1

線形は右肩上がりではなく、ある所から放物線状に急降下します。つまり、ある程度を超えた格好良さは急に親しみにくくなっていくのです。



格好良すぎる空間

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これはフランスの建築家ジャン・ヌーベルによるスイスのルツェルンにある文化会議センターの最上階のテラス。めちゃくちゃカッコ良い。湖の壮大な景色を巨大な庇によってあえて横長に切り取った空間は暗くすることで更に外部への広がりを感じさせます。硬い艶々の素材はその空間を更に厳格に演出します。
ここに立つと建築の力というものをゾクゾク感じます。背筋が伸びます。

でも、ちっとも休まりません。一応テラスということで座れる場所もあるけれど、座ろうという気になりません。飲食禁止と書いていないけれど、ここで飲み食いしても多分美味しくないと思います。

トキントキンに研ぎ澄まされた空間は、その厳格さゆえに人に緊張を与えるのですが、その反面優しさが無いのです。


くつろげる空間

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これはスリランカの建築家ジェフリー・バワによるホテルカンダラマのテラス。前の例と同じく絶景を望むテラスですが、こちらの方がディテールへのこだわりが少しだけ少ないように思えます。普通は例えば柱を極限まで細くしよう。とか、サッシの太さを揃えたりということを考えたりするのですが、この場合はここはあえて無頓着なように見えます。
この無頓着さがデザインの一貫性をある意味壊していているのですが、不思議と嫌な感じはしません。むしろくつろげる空間となっていて、ここならば、あ、座ってみようと自然に思えます。

デザインコンセプトがありながらも、細部までこだわり過ぎていないところに親しみを感じるのではないか。と思います。

※真面目なスイスの建築と大らかな南国スリランカの建築を比べれば違って当たり前だろ!という突っ込みは受け付けないことにします。これは個人の暴論としてご理解くださいませ。


ちょっとダサいぐらいが一番カッコいい

建築は小さなこだわりを積み重ねていくことで完成度を高めますが、ある程度を越えると他の要素を許さないという厳しさが出てきて親しみにくくなっていくのだと思います。
展示空間などの非日常空間はあえてこの効果を狙うこともありますが、住宅などの人が生活する場所においてはこの厳格さは住みにくさに繋がると思っています。

住まいにはいろいろな物があります。家具であったり、生活用品であったり、洋服であったり。。。
さまざまな形や色があり、そのすべてを一つのデザインコンセプトに合わせることは、とても難しい。
だから建築は、少しくらい変な色や厳密にいえば”合わない”ものが入ってきても、それを許容する大らかさがあった方が良いのだと僕は考えています。その余裕を感じるかどうかが親しみに繋がるのではないかと。
逆に言えば、デザイン性が高すぎると他のことに対する制約が厳しくなり押し付けがましく感じるような気がします。

なので、完璧を追い求めたうえで少しだけ抜きをつくる。
わざとちょっとだけダサくするとよりカッコよくなるのだと思っています。



おぎやはぎがちょうどいい

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ちょっと抜きがあると愛着が沸くということは他の事象にもあてはまる気がします。
たとえばファッション。全身流行りの恰好してギンギンに決めていれば恰好いいけれど、なんだか頑張ってる感が出てきて暑苦しい。一見こだわってない風に見えるアイテムを入れると自然な着こなしになったりします。
人も同じ。完璧に見える人間よりも少し抜けている所がある人の方が魅力的に見えたりします。

そんなことを考えていたら、おぎやはぎがちょうど良いということに気づいてしまいました。
※さん付けせずに書き進めます。ご了承下さいませ。

例えばメガネ。おぎやはぎといえばメガネですが、実はそんなに主張の強いデザインのものは掛けていない。だからダブルメガネだなーとは思ってもメガネのいけ好かない奴!みたいな嫌な感じはしないです。

服装だって、よく見るとすごくオシャレなんだけれど、オシャレを頑張っている感じはしない。自然体とか言われているようですが、きっと手の抜きどころを心得ているんだろうなーと思います。

そしてお笑いはジワジワ笑いを誘う脱力系とあって、爆発的な笑いを求めない。一番を求めてはいないけれど、いつも気の利いたことを言い面白い。そして凄いのは人に嫌われることもなんとも思っていなさそうなところ。一番にならないカッコよさみたいなものを地でいく人たちのように感じています。


冒頭のグラフで表すと、放物線のピークを越えて、あんまり好きじゃないっていう人も出てくるぐらいのところ。
実は僕たちがつくりたい建物もこの部分なのです。
万人受けするものではないけれど、親しみは持ってもらいたい。なんとなくカッコいいけど尖りすぎていないというところです。

ダサい2



どこでデザインを手放すか

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例えばシンプルモダンとかミニマリストとかという言葉が横行していますが、白いシンプルな空間をつくることなど簡単です。白くすればいいんですから。使っている色の数を減らせば、シンプルになっていって格好良くなる。

でもそこに他の色が入ってきた時にどう調和されるかをうまく考えるのが設計の腕の見せ所です。
その為には白一辺倒にこだわりすぎないこと。つまり時にはデザインしすぎないことが大事だと思っています。

デザインを手放す。という言い方でも良いかもしれません。
設計をして建物が竣工したところが完成ではなく、建物を完成させるのはその建物を使う人で、何年後か何十年後か、あるいはもしかしたらずっと完成はないものなのかもしれません。
そう思ってデザインすれば、(設計者にとっては)途中で手放すことも許容できると思います。

尖りすぎず野暮ったすぎず、親しみを覚え愛されるデザインをする。
サウイフモノニワタシハナリタイ


noteを始めてから、考えていることをどう書いたら伝わるだろうかと試行錯誤することが楽しくなりました。 まだまだ学ぶこと多く、他の人の文章を読んでは刺激を受けています。 僕の文章でお金が頂けるのであればそのお金は、他のクリエイターさんの有料記事購入に使わせていただきます。