思いもよらぬ、最高の大学生活
こんにちは。
天音です。
今回はマイナビとnoteのコラボ企画ということで、想像していなかった未来についてのテーマで書いてみようと思います。
私はまさに今マイナビにお世話になりまくっている大学3年生。
そんな自分はそもそも、大学生になるかどうかも迷っていた時期がありました。
今回はそのお話です。
将来の夢を諦めた
早速結論から入りますが、私は一度、将来の夢を諦めました。
それは、薬剤師になること。
中学生の頃までは、本気で薬剤師を志していました。
そんな夢を諦めたのは、私の学業成績もありますが、どちらかというと家計への負担を考えた結果でした。
現在、私は4年制大学に通っていますが、高校生のときに知った薬学部の学費の高さへの驚き、
国公立でも奨学金をもらってやっとな金額に絶望したのを今でも強く覚えています。
加えて、薬剤師は今後市場が縮まると予想されている業界と耳にし、当時の自分はとてつもなく不安になりました。
こんな自分でも食べていけるんだろうか...
私の両親は共にサラリーマン。
両親と私のアルバイト代を合わせてやっと、日本の平均年収に届くかどうか。
今の生活でやっとなのは子どもながらに分かっていました。
そんな中で6年間も自分の奨学金とアルバイトだけでは到底まかなえない学費を払ってもらうのは、負担が大きすぎる。
しかも私には妹もいるので、その学費を払ってもらう余裕を残しておかなければ、お金で妹の人生を台無しにしてしまう可能性がある。
自分のせいで人の人生を傷つけるのだけは嫌だ。
そんな思いで、薬学部への進学は諦めたのでした。
そして目標を失った当時の私は、半年くらいの間、本気で就職を検討していました。
"やりたいことがないのであれば、稼いだ方がためになるだろう"
今考えれば、この時の自分は半ば投げやりにそんな考えを持っていた気がします。
しかし、高校で様々な大学の紹介がされた時、現在通っている学部に近い分野が少しだけ楽しそうに感じ、改めて職業についてたくさん調べました。
そして検討に検討を重ねた結果、現在通っている大学にたどり着きました。
大学に行く必要性とは
受験期になり、私はまた迷っていました。
果たして、大学に行く必要はあるのだろうか。
実際私の両親はどちらも専門学校卒で、大学には行っていません。
そう、別に大学なんか行かなくても、生きて食べていくことはできる。
そんな中でわざわざ高い学費を払ってまで4年間も学ぶ必要ってどこにあるんだろう、と考えた時、私がふと思ったのは、
『大学に行かないと取れない資格を取るのであれば、どうせなら現役の今が1番良いのではないか。』
ということです。
大学を卒業しなければ取れない資格は色々あります。
その中でも私にとって魅力的に映ったのは、教員免許。
今までお世話になってきた、理科の先生のカッコいい姿が思い浮かびます。
(私は理科が大好きでした)
それならば、資格を取るために大学に行こうと、大学受験を決意しました。
大波乱の大学受験
教員免許を取得することを目標にして選んだ第一志望は、国公立の教育学部。
しかしそこには大きな壁がひとつありました。
それは
理科以外が壊滅的にできなかったこと。
高校3年の4月の時点で、英語の共通テストの模擬試験を塾で受けた時には、21点。
数学を解いてみれば、30点。
国公立教育学部の平均的なボーダーラインは大体平均6割以上なので、とてつもなく勉強する必要がありました。
そこから一念発起。
毎日10時間以上の勉強をなんとかこなし、かなり偏差値、点数共に上がりました。
あとは本番のみ。
そんな中で迎えた共通テスト。
文系科目は大体予想通りの得点率で、手応えもそこそこといった感じでした。
問題は数学。
私の代の数学の共通テストは、今まで対策してきた問題と志向の全く違う問題で、平均点もものすごく低い代でした。
そして数学は共通テスト用の勉強しかしていなかった私は、大打撃を受けてしまったのでした。
そんなこんなで国公立には残念ながら不合格でしたが、
奇跡的に理科だけ(生物と化学に限る)はできる体質だったので、努力で伸ばした他の科目の実力も相まって、なんとか第二志望である、現在通っている大学から合格をいただくことができました。
この大学でよかった
ちなみに現在通っている東京農業大学は、実は受験数ヶ月前まで志望校には全く入っていませんでした。
教育学部しか基本的には考えていなかったから。
でも母からのとある一言がきっかけで、理科に特化した教員を目指すという道もあることに気づきました。
そのとある一言とは、
「あんたは理科しか興味ないんだから、他の科目いっぱいやらされたら嫌になっちゃうんじゃない?本当に教育学部で大丈夫なの?」
確かに〜😮
この一言が無ければ私は多分教育学部だけを必死になって探していたことでしょう。
その勉強が教育学部に行っていてもしっかりと続いているかは想像もつきません。
でも、今通っている大学でたくさんの人と出会って、様々な専門分野の方と関わる機会もいただいて、優秀で優しい親友と共に学べて、今思えば最高の環境です。
もしかしたら、この大学に呼ばれていたから、運がここじゃないよ、と教えてくれたのかも、とさえ思ってしまうほどに。
一時期は忙しすぎて鬱にもなり、苦しい思いも沢山しましたが、それもそれで中々できない貴重な経験。
これからも目標に向かって、まずは大好きな友人たちと一緒に卒業できるように頑張っていきます。
将来とこれから
さて、ここまでだいぶ長い文章となってしまいましたが、私がこの文章を通して伝えたかったのは、
『人生は何が起こるか分からないけど、生きてさえいれば大抵のことはなんとかなる』
ということです。
家計のことを必死に考えて、就職しようか迷いつつも、さっぱり自分に合う職業が見つからなくて悩んだことも、
死にそうになりながらした勉強も、第一志望に落ちた時には全てが無駄だったかのように思えてしまったこともありました。
うつ状態になって、物理的にも精神的にも追い込まれて、何が何だか分からなくもなりました。
それでも、なんとか立ち上がり、社会人のたまごとして、日々目標に向かって頑張ることができています。
そんな今の自分だからこそ胸を張って言えるのは、
自分の中で解決しようとして無理だったことは、
まず"誰かに相談してみることが解決の糸口になることが多い"ということ。
私は何度も人に救われました。
受験で進路に迷ったときも、
大好きだった学校にすらいくのが怖くなって、どうしようもない私の話を主治医が優しく聞いてくれたことも、
うつ状態でなにも考えられず、課題の把握すらできていない私にひとつ一つ友達がリマインドしてくれたことも、
アカペラほとんど参加しなくなった活動を再開した時、居場所はもうないと思っていたのに、暖かく迎え入れてくれたことも、
家に帰ると何も言わずとも毎日母が夜ごはんを出してくれることも、
全部全部、私を救ってくれた出来事であり、最高の記憶の宝物です。
私の中では解決できないと思っていたことが、少しでも相談してみると、ふとしたきっかけで解決したり。
それだけ、人は人との繋がりの中で暮らすものなのだ、ということがよく分かりました。
将来は、この事を胸に、これからの未来を創造する仕事をしたいと思っています。
職業がどうなったとしても、きっとなんとかなる。
そんな気がする。
私がやりたいことに少しでも近づけるように、これからも毎日、目標に向かって邁進していきます。
お読みいただき、ありがとうございました。