特別支援学校へ行ったら、過去の記憶が沢山フラッシュバックして辛かった話。
こんにちは。
天音です。
本日は介護等体験で特別支援学校にお世話になってきました。
私が体験を行ったのは、知的障害部門の小学生のクラス。
色んな意味でわちゃわちゃしてました。
初めて目の前にした重度の知的障害児。
生活技能訓練の必要性がよく分かりました。
ここまでは普通の感想。
私の担当クラスはかなり重度の、発語もなくひとりで歩くのもやっとな子たちのクラスだったのですが、その隣や学年全体の運動などに参加させてもらい、学年全体の雰囲気を感じました。
久しぶりに見かけた給食。
エプロンとランチョンマットを忘れて、配膳台の横にひとり立たされて泣いた記憶。
服の引っ張り合いや帽子を相手から取る行為。
当時小学2年生の私が、クラスメイトに腕や服を引っ張られて苦しかった記憶。
何かで揉めていたことは覚えているけど、感情が高ぶりすぎて何が何だか分からなかった気がします。
先生に注意されているのを見て、自分が叱られているわけでもない、状況も過去と全く違うのに、
静かなクラスの外の廊下から聞こえてくる声にいちいち心が反応してしまうのです。
特に若い声が太めの先生の声。
常に平常心を意識して、深呼吸をしつつ、とにかく観察することに努めることで乗り切りましたが、
やはり小学校は私にとってのトラウマ的体験の積み重ねが多かったのかもしれない、と改めて思ったのでした。
帰りの電車では深呼吸を意識してやっと平常心を保ちつつ、きちんと学ぼうとすればするほど胸が締め付けられるのです。
あれ、自分はなぜあんなに怒られていたのだろうって内心思っちゃって、なおさら自分で傷を抉って。
そりゃ違うさ。
私は通常学級だし、幼稚園時代に受けた知能検査で異常がないからと「普通の子」として育てられ、でも「普通」にはなれなくて。
小学校3年生の冬まで指しゃぶりが治らなかったのも、
えんぴつを噛んで母に呆れられたのも、
机の上に登って会う大人みんなに奇異の目で見られていたのも、
実は辛かった。
全てすぐにやめられるならやめたかった。
「できたこと」に目を向け褒めてもらえるこの学校で、人知れず「できなかった事を責められ続けた記憶」が蘇っていたのでした。
教室で食べたお弁当は、持って行った半分しか喉を通らず、
これだ!とパッと言えるような分かりやすい辛さでも無いので誰にも相談できず、とにかく耐えるしか無いことに気づいた時、とにかく目の前の現在に目を向けようと必死でした。
マインドフルネス。
心の中でずっと唱えながら、なんとか1日目の体験を終えたのでした。
多分この記憶が薄れることはないんだろうなぁとか思いつつ、やはり現在の基準だったら通級ぐらいにはなっていたのかもしれないとか考えると、今の子どもたちが少しだけ羨ましく感じました。
のびのびと健やかに育ってほしい。
そんな事を思った今日この頃でした。
ではまた。