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馬糞と政治の政の話
昔の話しである。
山深い村の一つの集落から小学校に通うには細い山道を山越えして向かう方法と、山壁を削るようにつくられた下道を使う方法であった。
今では、拡幅された下道で 車も歩行も行われているが…
( 更に、トンネル変わっている!)
当時は山道が安全で近道だったのだ。
いや、正確には安全が保たれていたのである。
しかし、この事に気付くのに私は長い長い年月を過ぎていた。
子供の頃は山道に馬糞を見つけると…
その固さを見極め避けて歩いていたものである。
しかも、馬糞の良くある場所は決まっていて…勾配が大きい、丸太で土留めした段差のある一段幅が広目の…まるで回り階段の様に大きくカーブしてる道で…糞が多い時は子供の歩幅では避けて歩くのが大変困難な時もあった。
しかし、不思議に学校の行き帰り道で馬と出逢う事は全く無かったのである。
私は恥ずかしながら…その事について今まで一度も考えてみたことが全く無かったのである。
私は子供の頃、一度だけ学校が休みの日に…馬と丁度、その場所で出会った事があるのを思い出した。
馬は手綱で引かれながら、材木を運んでいたのである。
私は行き場を失った小動物の様に小さく腰を屈めて道幅から少しはみ出た藪の中で蹲るように、馬が通り過ぎるまで息するのを忘れた様に静かに1ミリたりとも動かずに目だけを凝らして馬の移動を見ていた。
馬でも流石に 荷をひこずり坂道を下(くだ)るのが大変なのか…気張る度に糞をしながら歩いていたのである。
その時の事は、何故か…子供だった私には親にも友達にも話してはいけない事の様に思えて…今まで誰にも語っていない。
今さらながら…遠い昔の子供の頃の思い出を話したくなったのは…
今の世の中を憂いてのことで…
「政治とは何ぞや…」と考えたからである。
私なりに深く深く考えて…出てきたのが、この馬の話であった。
なぜ、子供の私が小学校と家を往き来する間、一度も馬と出くわして無かったのか…
確かに道には…その時々で固さの違いはあるにせよ馬糞は有るのに…
「これこそ政治の本質」だと感じた瞬間であった。
政治の「政」の意味を調べると…
「ものごとを行うときの、(一定の、あるいは正しい)やり方。」と記されていた。
子供の安全を一番に考えた当時の社会人の有り様が見えて来る。
最近に成って幼稚園バス閉じ込め事件での対策が具体的に国でも話される姿をニュースで目にする様に成ったが…なぜ、もっと早くに対策を行っていなかったのか…親御さんの気持ちを思うと…
この事を言わずにはいられないのである。
現代社会がいろんな事で、騒がしく忙しい等(など)とは言わせないぞ。
その為に日本には地方自治体から国会まで沢山(たくさん)の議員さんや首長(リーダー)さんがいるのだから…
事件、事故が起こる前に大人は子供の安全第一を考えて想像力を働かさねばならないのである。
大人の行う行為の一つ一つが子供達に悪い影響や危険な事が無いか…
普段の生活の普通の事であるように「馬引き人」と同様な姿でなければならないのである。
それが政治である。
その心構えが全てに有る「政」で地域や国を治める世の中に戻さなければ成らないと強く思う…今日この頃なのである。
とんでもない議員や首長(リーダー)を生み出す世の中に…その日本に…その世界に…
私事(わたくしごと)も含めて「渇(かっ)」である。
作 安田純一