隠された 「コバルト色の湖 」
子供の頃に、見てはいけないものを見てしまったんだ…
それは…「コバルト色の湖」との出逢いの話 である 。
親にねだって、5段切り替えの…当時は 流行だった 流れる様に 光るリヤ ウインカーが ゴージャスに取り付けられている黒色のスポーティーな自転車を やっとの事で買ってもらい…毎日、刺激的な日々を過ごしていたんだ。
そして、どんどん世界は…家と小学校を直線で結ぶ 楕円周より…その範囲を次第に超えて行ったんだ 。
ある日の日曜日に 県境を越えて岐阜県の神岡町まで一人で出かけたんだ。
そこは 車で約30分位 かかる所に ある小さな街でした。
昭和の香りするレトロな感じの…その街が大好きだった。
その頃…暮らしてた家のある場所は 昔、平家の落人(おちゅうど)が 源氏から逃げ切るために 身を隠し 辿り着いた居住地…との伝説が残る様な小さな集落で…
見上げると山頂が直ぐそこに見える山林の山々と 遥か下方に小さく細く見える川との 狭苦しい間での 僅かな平地で 田畑と共に暮らす 約二十数軒ほどの藁葺き家屋が三軒まだ残っている集落でした。
その眺めは…川沿いから急に立ち上る山壁の最も高い場所に位置する様な集落だから悪くない…かなり良い方だ 。
その中の一軒屋で 大正時代に曾祖父によって建てられた、唯一 和洋折衷の家だった。
そんな田舎に暮らす子供が自転車で行く事の出来る唯一の街でした。
当日の神岡町は 鉱山で栄えた街が次第に廃れて…
かろうじて昔の活気を思い起こせる建物や頑丈な橋だけを 街の中心部に残し…
古き飛騨の雰囲気も…少し留めている様な街並みでした 。
昔は全国から…この鉱山で働く為に集められた人々が数多く賑やかに暮していたが…、そのまま住み着き残った人口を加えても 約2千にも満たない位の人々が暮らす小さな街になってました。
何度か家族や遠足で、この街を訪れていて 知っていたんだけど…自転車での一人旅は初めての体験で…少しの不安と、それを上回る解放感を満喫する日を過ごしていたんだ。
その日は 特に 山から吹いて来る風が、とても 心地 好く感じられる 日本晴れの日で…次第に 風の吹いて来る、昔し 叔父が白物家電を売りに 立ち寄ったと 言ってた…
ちょっと 人里離れた集落の更に 山頂方向へと…
ペダルを漕ぐ…どんどん漕ぐ…
そんな 鼻唄交じりの 陽気な サイクリングを楽しんでいたんだ。
五段切り替えの自転車でもあり、快適に山の山頂近くの最後の数軒しかない集落も過ぎて、ちょうど太陽光が、頭の上にあった時に…いきなり視界に飛び込んで来た、コバルト色に輝く湖 。
その光景の異常さに 目と口が…更に鼻の穴も最大限に開く様な 一瞬 の 感覚は…今も脳裏に残っている。
何も 決して 崩れて 流れ出る事の 出来ない無い 分厚いコンクリートの細長い壁に塞き止められて出来上がったと思われる…湖は 周囲の山肌斜面を利用する形で完全に囲まれていた 。
眼下のコバルト色の湖は…
強い太陽光に反応して キラキラした水面と 真逆の山影に隠れていながらも 不気味に 深く黒光り している…
さらに その黒光りの様子を凝視していると…
まるで 見た人の脳を 泥々に侵食したがっているかの様な魔女達が現れて…
なかでも、湖中に潜みながら グラビトンなエネルギーを発している老齢魔女が 創り出した 「闇夜の国」に 迷い込んだ感じだった。
あまりにも凄い光景すぎて…暫く正気を取り戻す事が出来なくなり…
ただ、その場で自転車に股がったまま立ち竦んで、全く 動けない ままだった。
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目覚めると家に戻っていた。😳
確かに朝の朝食を済ませると自転車に股がり、友達の家に遊び行くと 母に伝えて家を後にしたのである…
そして、当然の様に友人の家には行かずに 神岡の街に向かったのである…
だが…「コバルト色の湖」を見てから 帰宅するまでの 記憶が全く無いのだ。🤯
どうやって 家まで帰って来たかが…全く思い出せないのである。😑
それが…目覚めた後…家の裏庭が見渡せる 縁側に立ち、黒松と赤松の枝が重なる その先に広がる日本晴れの眩し太陽光が、眼を突き刺したところで… 一瞬にして「コバルト色の湖」の 記憶を 鮮明に甦らせたのである。
「 何かが、不思議 (おかしいぞ)… 」
あの太陽光の位置は…確かに、あの時、頭の上にあった…
「 それなのに、今… 」
縁側から、更に裸足で外に出てみた…
やはり…頭上を少し過ぎた位の位置にある太陽光を浴びているのである。
「 やっぱり…何かが、不思議 (おかしいぞ)… 」
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岐阜県 吉城郡 神岡町
(現在/岐阜県飛騨市神岡町)
小柴先生のニュートリノ、そしてノーベル賞の受賞で注目され…それ以降の研究成果を世に出しす過程でも、更なるノーベル賞の受賞に繋がった 世界的に有名に成った地、神岡町であるが…
その昔は…悲惨な「イタイ イタイ病」を発生させてしまう鉱山廃棄物(カドミウム)を川に垂れ流し事で有名に成った土地でもある。
イタイイタイ病の患者は、その川の下流にある富山県の代表的 河川の一つである神通川を利用して生活していた地域の人々に「地獄の苦しみ」を味会わせたのである。
その後、鉱山廃棄物を含む汚水を地元の川(高原川)に流せなく成った事で出来たのが…
人造湖である「コバルト色の湖」である。
神岡の山奥に隠される様に存在していた「コバルト色の湖」は…もはや過去の光景である 。
しかし、どんなに時が流れ過ぎても 消えない様々な記憶や痕跡は…そこには残り続けている。
子供の頃に偶然、発見した魔性の湖は…
言葉に表せない位に 美しく輝き、神秘的な鏡の様な奥深いコバルト色だった 。
しかし、その裏で 苦しむ事に成る 地元の関係者や下流に生きて被害を受けた多くいた人々の怨念が「コバルト色の湖」の記憶と一緒に永遠に脳裏に残る事を意味していたのです。
そして…
「 コバルト色の湖 」との出逢いから 二十年後の夏、 広島の平和公園を訪れ…隣接する原爆資料館に入り 異なる衝撃的で強烈な体験をする事に成る。
その時も やはり 全く動けないで…ただ、その場で 立ち竦むだけだった。
そして…意識を無くした…
「 人間は 残酷な生き物である 。」
だから 政治は…思慮深い人達による 弱い者に寄り添い 優しくあるべきだと 心から思ったのが…
広島市民病院のベッドの上だった 。
そして…
「 コバルト色の湖に 名前は無い 」
その事を…大人に成って知る。