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【ネタバレ配慮】初見でもジョーと健にハマろう! Infini-T Force/ガッチャマンさらば友よ【感想】

 『劇場版Infini-T Force/ガッチャマン さらば友よ』が面白かったです!
 私は特に、本作に登場するコンドルのジョーと、さらにはジョーと鷲尾健(ガッチャマン)との関係性にハマってしまいました!
 
 ということで、私はこの作品の魅力をより多くの人と分かち合うために、主にメインキャラであるジョーと健の関係性に焦点をあてて、この作品をオススメしていきたいと思います!

 ※筆者は原作(Infini-T Forceに登場するメインキャラクターの出どころとなっている1970年代に放映されたテレビアニメ)およびテレビアニメ版Infini-T Forceを観ていない状態で本作品を視聴しました。

 この記事は、あくまでも初見の立場からの感想を記したものであることをご海容いただきたいです。


【未視聴の方に向けて~~ネタバレなしゾーン~~】

1.初見の人でも大丈夫!

 私は、原作を観ておらず、ガッチャマンやInfini-T Forceに対して初見に近い人にこそ、『劇場版Infini-T Force』をオススメしたいです!
 
 それは、筆者が1970年代に放映されたガッチャマン・キャシャーン・ポリマー・テッカマンのテレビアニメを観ておらず、またテレビアニメ版『Infini-T Force』も観ていない状態で劇場版を観たにもかかわらず、すごくハマったからです。
 
 テレビアニメ版『Infini-T Force』のストーリーや70年代のアニメの設定を把握していない人でも、全然ついていけます!

 また、劇場版Infini-T Forceは、冒頭15分でテレビアニメ版のストーリーをダイジェスト形式で紹介しています。
 筆者は劇場版Infini-T Forceを観る前日に、『科学忍者隊ガッチャマン』(70年代のテレビアニメ)と、テレビアニメ版『Infini-T Force』のwikipediaをさら~っと呼んでなんとなく予習をしたのですが、その程度の知識で十分に映画本編のストーリーを理解することができました!

 逆に言うと、覚えるまではいかなくともなんとな~く作品の世界観を調べておく、くらいの事前情報はあった方がいいかもしれません。


2.ジョーと健にハマろう!

 この記事のネタバレありパートでたっぷり紹介するように、ジョーと健の関係性にすごく魅力があるので、
キャラクター・キャラクター同士の関係性に魅力を感じたい人や、キャラにハマりやすい人にオススメしたいです!

キャラクターデザインも声もみんな綺麗で、ここもハマりやすい要素といえます!

 また、アクションシーンがアツい&美麗で、それでいて長すぎません! ヒーロー物をあまり見たことがない人や、アクションに詳しくない人でも、「なんかスゲー!」と燃えられる魅力があります
(筆者もヒーロー系の作品はほぼ観たことがありませんが、燃えました)。
 

 
 とにかく! 私はより多くの人に、劇場版Infini-T Forceを観て、素晴らしい作品だなと感じてほしいです!!

↓↓以下、本編のネタバレをてんこもりに含んでおりますのでご注意ください!↓↓


 ***


【視聴済みの方へ~~ネタバレありゾーン~~】

1.概要:ジョーと健はいいぞ

 冒頭で少し触れたように、私はジョーと健の関係性に強く魅力を感じています、ここに『劇場版Infini-T Force』の良さがあると思っています。これからはこの点について詳しくお話していきましょう!
 
 ざっくり説明すると、(鷲尾健、唯一「ガッチャマン」の称号を与えられている人)は「希望として輝く」「光の正義」の持ち主ですが
ジョー(コンドルのジョー/ジョージ浅倉)は「暗い正義」「影の正義」を持っていますよね。

頑張って言語化してみると……、

「光の正義」
=希望を原動力として人々を救う。対話を重んじ、犠牲を最小に収めようと尽力する。
いわゆるヒーローが持っている正義感として想像されるもの。
「影の正義」
=悪への憎しみを原動力として戦う。時には暴力を用いて悪を排除することを厭わない。

……こんな感じでしょうか。

 この点で、この2人は(同じ科学忍者隊のメンバーでありながら)決定的に価値観を異にしています。現に、正義感の違いから対立し、2人は殴り合いの喧嘩をしたことがあるようです
(映画中に、過去回想シーンとして映っていた場面ですね)。
 
 このように明確な対立があり、作品中でも一度ではなく何度も衝突した
(↑の過去回想シーンもそうですし、ジョーが南部を手にかけようと画策しては健が阻止するシーンでは、いつも2人の価値観が衝突していますよね)2人ですが……。
 作品の最後では、お互いの価値観・正義感を、自分とは違うものと捉えつつも認めているように見えます。
 
 私はこの、2人の「衝突を超えた先でお互いを容認している、でも自分とは決定的に違うということも分かっている」という状態・関係性がめっっちゃ好きなんです!
 

 こういう話を、この記事では延々としていきます。

 ※作中において、ジョーの正義感は南部によって「誰かが影となるしかない」「暗い正義」と表現されていますが、この記事では(“光の正義”と対比する便宜上)「影の正義」と称することにします!


2.ジョーのラストシーンについて考える

(1)概要

 ジョーは、死の間際に、健の膝の上に抱かれ、健の顔に手を伸ばして、このようなことを言って息絶えます。

「眩しいな……」

 私は(ジョーが死んでしまうのは悲しくて、健と同じようにウワ―――ッと咆哮してしまいますが)このセリフが大好きなんです!
 ジョーの心情や、ジョーと健との(衝突から容認に至るまでの)関係性をすっごく良く、端的に表しているセリフだと思います。


(2)なぜジョーは「〇〇(目次ネタバレ配慮)」と言ったのか? 勝手に解釈する


ⅰ)「眩しい」って、どんな時に言う?

 ではなぜ、ジョーは最期に「眩しいな……」と言ったのでしょう?

 もちろん、夕陽の眩しさと、健が持つ「光の正義」の眩しさとをかけあわせた演出なのでしょう。
 それはそうなんですが、もうちょっと……もうちょっと考えたい! だってこのセリフが好きだから! なんかすごい心に刺さってるから!
 

 ということで、筆者なりに勝手に深読みしてみました。
 

 以下、筆者の妄想全開で書き進めていきます。
 「こういう考え方もありえるよね」くらいのテンションで見守っていただけるととてもありがたいです……。

 *** 


 これは私の感覚でしかないかもしれませんが、何かに対して「眩しい」と思うのって、その対象のことを手放しに良い・褒めたいと思っている場合ではない場合もあるのではありませんか?
(「眩しい」という表現が用いられるときって、”その対象の無垢さ・真っ直ぐさにただただ感心している”場合と、このあとすぐに書くような内容の葛藤を経たうえで眩しいと感じている場合の2つがある気がします)

辞書上では次のように定義されているようですね。
「眩しい」の解説
 1 (略)
 2 まともに見ることがためらわれるほど美しい。また、尊い。

――goo辞書より引用。

 筆者の解釈だと、
「眩しい」と思う対象のことを“良い・美しい”と感じるけれども、その“良い・美しい”という感情に至るまでには葛藤があり、その葛藤を乗り越えて、当該の対象を“自分の手には入らないものだけど、良い・美しい”と感じている……、
という場合に、何かのことを「眩しい」と表現する、のだと思います。
 

 ここにいう「葛藤」は、「自分も対象のようになれるんじゃないか」ともがいて、でもなれなくて「どうして自分にはできないんだ」と自己嫌悪したり、対象に嫉妬したりすることを想定しています。

 なので、「最初から自分の手に入らないと思っている」「良い・美しいけど自分には全く関係がない」ものには「眩しい」と思わない、と予想します。この場合は「葛藤」がないのでね。


ⅱ)ここまでの解釈をジョーと健にあてはめてみる
 
 ここまで、「眩しい」とはどんな時に心に浮かぶ表現なのかを考えてきました。次は、この解釈を実際にジョーと健にあてはめて考えてみましょう!
 

 ***

 
 まず、ジョーが「眩しいな……」と言った真の対象は、健が持つ「希望として輝く」「光の正義」でしょう
 作中の話の流れを踏まえるとそう思えると思います。一例を挙げるとすればこのセリフでしょうか。↓↓

*ジョーは南部に銃を突きつけている。
*そして、政府関係者はジョーに銃を向けている。
*ジョーは一瞬、ためらうような表情を見せる
  ――正義、か……。
  ――ガラじゃねえや。

*ジョーが南部を撃つ。

劇場版Infini-T Force 本編より。
展開的には、ジョーが「眩しいな……」と言うシーンの1つ前の場面と考えてもらっていいと思います。

 すでに〈1.概要〉でご紹介したように、健の「光の正義」とジョーの「影の正義」は完全に異なります。そのせいで2人は対立・喧嘩をした過去を持っています。

 しかし、ジョーは、健の「光の正義」に対して、最期の瞬間に良さを感じたのではないでしょうか。
 そして、ジョーは「光の正義」に対して、(自らの影の正義とは違うものながら)「最初から自分の手に入らない」「自分には関係がない」と思っていたわけではないと……。筆者はそう推測します。
 

 ヒーローとして通常人々から求められる正義感は、健の持つような「光の正義」でしょう。影の正義と比べて、「光の正義」が理想であることもまた理解していたはずです
(ジョーは南部を殺害することで南部の悪事を止めようとしていますが、この方法が理想的であるとは言い難いですよね)。
 

 ジョーは幼い頃に目の前で両親を殺害された過去から、「影の正義」を持って戦っています(映画本編参照)。
 しかしそんなジョーも、
「本当は自分も健のような光の正義を持った方がいいのではないか」
「健のような正義感が理想であるはずなのに、自分はそれになれなくて苦しい」
 ……と、思い悩んだことがあるのではないでしょうか

 上に引用した、ジョーが南部を撃つ前に「正義、か……」と一瞬の逡巡を見せたシーンは、この苦悩を表しているように感じられます。

 また、ジョーにとって南部はお世話になった存在です。そんな人を殺害しようとするにあたって、「自分がやろうとしていることは、理想ではないよな」と考えそうなものですよね。

 このようなジョーの苦悩に思いを馳せると、ジョーが健に言った「眩しい」の意味合いは、前述の2つの用法(ただただ無垢さに感心する/葛藤を経てようやく良いと思える)のうち、後者であるような気がしてきます。

 そしてこのジョーの苦悩が、何かを「眩しい」と感じるまでに経る「葛藤」の部分にあたると思っています。

 ※あくまで本作品を観た上での推測です! もし原作などにこの解釈と矛盾するシーン・設定があったら、とっても申し訳ない。


 ***
 

 ここからもさらに筆者の推測・妄想なのですが……、
 ジョーだって、本当は健のような正義が理想だと思ったのではないでしょうか
 自分自身も健のような正義感を持つべきなのではないか、なのにどうして自分はそうなれないんだ、と思い苦しんだことがあるのではないでしょうか。
 
 でも、悲しいほどにジョーは「影の正義」の持ち主だったのでしょう。
 ジョーが今まで生きてきた環境・価値観のもとでは、ジョーの性分では、悲しいほどに影の正義を持ち続けるしかなかったのではないでしょうか……。
 
 だから、本当は理想でない、(一般的には)むしろ間違っているといえる最終手段(南部を殺害すること)を、ジョーは実行するしかなかった。それしか、ジョーの性分からして選択肢がなかった。
 


 このような思考の変遷・葛藤を経た上で、ジョーは、ラストシーンにおいて……、

 ・健が持っているような「理想的である」「光の正義」は、
  自分の手に入らないこと

 ・「光の正義」は美しい物だが、自分とは決定的に違うこと

 ……を、心の中で認めたのではないでしょうか。

 だからジョーは、死の間際に健の顔を見て「眩しい」といったのではないでしょうか……。
 そう筆者は推測・妄想しています。
 

 ***

 
 そうだとしたら(筆者の妄想のようなことを本当にジョーが葛藤して、あの「眩しいな……」という言葉に行きついていたとしたら)、悲しいけど最高だと思いませんか!?
 
 筆者の推測が実際にどのくらい的を射ているのか(または全く射ていないのか)はわかりませんが、
とにかく筆者は、ジョーが健に向けた「眩しいな……」という言葉が、2人の関係性やジョーから健に対する思いを表していて、最高に良いなと思っています
 
 結局これが言いたかっただけなんです私は。こんなに短い言葉に魅力が詰まってるなんて。すごくない!?
 

3.健はジョーの正義感をどう思っているのか

 ここまで、ジョーから健に対する思いについて考えてきました。

 おそらく、ジョーは健の持つ「光の正義」に対して、“自分の価値観とは全く違うけど、それはそれで美しい”と思っているのでしょう。
 そんなことを今まで考えてきました。

 ところで、映画本編を観ると、どうやら逆に健からジョーに対しても、似たようなことを思っていそうですよね!?
 

 ***

 
 映画全体のラストシーンです。健は、かつて南部がネクサスのエネルギーを不正に使って作ったと思われる武器を、政府関係者から取り上げていますよね。

 *飛行機の中に乗りこんだ健。
 *政府関係者たちを気絶させ、ネクサスの力を不正に利用して作られたのであろう武器を奪還する。
   佐々岡「殺すのか? 私を」
   健「それは俺のやり方じゃない」

劇場版Infini-T Force 本編より。
ジョーが息絶えるシーンよりも後、本作品の一番最後のシーンです。

 このシーンで健は、ジョーのやり方を心に思い浮かべて、それと比較する形で「それは俺のやり方じゃない」と言っていますよね!?(これは妄想じゃないはず)
 
 このセリフを踏まえて私は、健もまたジョーの正義に対して“自分の価値観とは全く違うと考えつつ、それはそれで存在しうるものとして尊重している”と思っています。

 “ジョーの影の正義→健の光の正義”とは違って、「美しいと思う」とまではいかないかもしれませんけどね。

 だって健は「それは俺のやり方じゃない」って言ったんですよ!?
 ジョーが取った行動(南部の殺害)はとても理想的なものとはいえないですし、現に健も反対していました。
 それなら、「そんなことは俺はしない」「そんなやり方はしない」という言い方をしそうなものじゃありませんか?
 
 そこをあえて健は「それは俺のやり方じゃない」と言ったところに、筆者は絶妙なニュアンスを感じています。
 きっと健は、たとえ健自身の正義感に反している行為であって、とても賛同できない(むしろ反対したい)ものであっても、
信頼する仲間であるジョーがジョーなりの正義に従って取った行動に対して尊重をしているのではないでしょうか。

 もちろん、健が、ジョーが南部を手にかけたことを積極的に肯定しているとは思いません。
 ですが、「それは俺のやり方じゃない」という言い回しに、健による、ジョーの選択に対する尊重を感じます。 


 お互いの持っている正義感・価値観が明確に違い、それゆえに対立した経験を持ちながらも、仲間としてすごく尊重しあっている……。

 この魅力的な関係性が、「眩しいな……」(by ジョー)/「それは俺のやり方じゃない」(by 健)のセリフに表れていて、筆者はそれがすごく好きです!

4.ジョーが感じた孤独について

 きっとここまでの文章ににじみ出ているように、筆者は特にジョーが健に向けた最期の言葉(「眩しいな……」)が大好きです。
 
 それはシンプルにジョーのキャラクター性やジョーと健の関係性が好きだから、というのもありますが、もっと具体的には、
「ジョーが感じたであろう孤独に感情移入したから」「その孤独の末にある言葉として好き」だといえると思います。
 
 もちろんジョーには健(たち)という仲間がいます。ですが、作品全体を通して、特に南部・政府関係者と対峙するラストシーンにおいて、ジョーはすごく孤独だったように見えませんか?
 
 ということで、ここからは私がジョーから感じた孤独について紹介していきます!
 

 ***

 
 ここまででもお話してきたように、ジョーは健に反対されながら、それでも南部の独裁行為を止めるために南部を殺害することを決心していました。そして実行しました。

 ジョーが南部に銃を向けた時、同じくジョーも何人もの政府関係者に銃口を突きつけられます。

 この時、ジョーは完全に一人きりだったんだな、と筆者は感じています。
 

 
 ◇まず単純に、大勢の他人に銃を突きつけられるのって、すごく寂しく感じられることなんじゃないでしょうか?
 
 他人に、それも大勢に、本気で(命さえも奪ってしまっていいという)銃口を突きつけられるのって、自分の全否定じゃないですか

 自分が今やろうとしていることはもちろん、自分という人間・存在が全く尊重されていないように感じられると思います。
今起ころうとしている事態さえ止めることさえできれば、撃とうとしている対象の命はどうでもいいと思われている、ということですからね。

 もちろん、ジョー自身が他人に銃を向けているからというのはありますけどね……。



 ◆それに加えて、ここでジョーがやろうとしていることは誰一人にも賛同されないし、むしろ反対されている行動ですよね。
 ジョーはこの瞬間、誰とも分かり合えず、誰にも理解されずにいたはずなんです。

 健はジョーが南部を手にかけるのを止めようとしていたし、(言及はないけど)おそらく健の他の仲間もそう。もちろん今対峙している南部や佐々岡たちともわかりあえない。

 そう考えるとそもそも、ジョーの「影の正義」が発揮されること自体に悲しさ・よりどころのない虚しさがあるようにも感じられます。

 ラストシーンを例にとると、ジョーは、もはや南部とは、言葉によってお互いに歩み寄れないと諦めきっていますよね。
 だからこそ、ジョーは「影の正義」を発揮して、南部を手にかけることを決心したのです。
 ジョーの「影の正義」が発揮されるときは、そこには悲しさがつきまとうのかもしれませんね……。
 
 

◇ジョーは自身の正義に従って、私怨ではなく信念があって、世界全体のために動いています。体を張っています。
 なのにこの瞬間、どうしようもなくジョーは独りで、誰ともわかりあえなかったのが、筆者にはとても悲しく感じられます。。
 

 ***

 
 ……というように、筆者は、ジョーは孤独だったんじゃないかなと思って勝手に感情移入しています
(本作品を観返していた時に、一度自分でもびっくりするくらいジョーの虚しさに浸ってしまって、ボロボロ泣いたことがあります。それは筆者自身でも引いたんですけど)。
 
 そして、この孤独の先に、例の「眩しいな……」という言葉があるのがすっごく良くないですか!?
 最期に強い孤独を感じたジョーが、仲間の膝上に抱かれて、自分の手に入らなかったものの美しさを認めるんです。うっ、切ない……。だけどそれがいい……。

 佐々岡たち政府関係者がジョーを撃つ時の容赦のなさ(絶対に撃ちすぎ)や、すでに撃たれて倒れたジョーが佐々岡の足元に伸ばした手を撃つ無慈悲さも、ジョーが置かれている立場の切なさを表してますよね

 ……良い。苦しいけど良い。
 
 
 ***
 

 ここまでのお話で、少しでもジョーと健の魅力について伝えることができたでしょうか?
 
 ジョーも健もそれなりに不器用な人間なのだと思います。対立もします。それでもあの2人は信頼しあえる仲間なんだな……、と思うと私はどこか心が温かくなります。
 それでいて、ラストシーンには虚しさがあって、やるせない気持ちになれます……。
 
 みなさん! 劇場版Infini-T Force、観ましょう! そして私と共感しあいましょう!
 

5.その他好きなシーンなど

 今までの本記事の内容とはあんまり連続していないのですが、
どうしても言及しておきたいオススメポイントについてちょっとだけ語らせていただきます。

(1)バードシグナルについて

 ジョーが撃たれた後、ジョーから健に「バードシグナル」が届きましたよね?
 このバードシグナルなるものがどんなものなのか、恥ずかしながら原作(70年代のテレビアニメ)未視聴なので調べてみました。
 

 おそらく、バードシグナルは言葉で連絡を取れない緊急事態にブレスレットを押すと、他の科学忍者隊に伝わる信号のようですね(違ったらごめんなさい……)。
 

 ということは、ジョーは自発的にシグナルを送ったのか……!
 孤独に晒されて地に伏しているジョーが、最期に自らの意志で仲間である健を呼んだのか……。
 
 そうだよね……。ジョーには無愛想な印象があるし、最期にあんなに(本記事参照)孤独な選択をしてしまう人だけど、最期には仲間の顔を見たいよね……。そこで真っ先にシグナルを伝える相手が健なんだね。仲間だもんね……。

 
 ……良い。

(2)ジョーの声、良いよね

 本作のジョーの声、良いですよね。
 このセクションの内容はこれだけですごめんなさい。これをひとこと言いたかった。

 
 70年代アニメにおけるジョーの声とは感じが違うというのは筆者も把握しているのですが、(原作未視聴の)私的には、本作のジョーの声が、本作におけるジョーによくハマっていて好きだな~と思います。
 
 元の声よりちょっと高くて、淡々としてるしぶっきらぼうな感じだけど熱はこもってる感じだからこそ、光の正義・影の正義の間で揺れるジョーの葛藤がよく感じられて好きです。

 南部を撃つ直前のシーンで、迷っているような声色で「正義、か……」と言うところが特に好き。

 この声だからこそ、ジョーの不器用な正義感や葛藤に対してこんなにハマったんだ! 少なくとも私は。
 

6.まとめ

 最後までお読みいただき、ありがとうございました!
 このレビューを通じて少しでも劇場版Infini-T Forceの魅力が伝われば幸いです!

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