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ram1112_stb
自分の過去記事は二度以上美味しい
自分が過去に書いた記事を読み返す。
ふと目に留まったとき。
スキをいただいたとき。
なんとなく気になったとき。
読み返すと、当時の自分が蘇る。
蘇り具合には、その時うまく書けていたか?が影響してしまうところが、
アウトプット下手な私には歯痒い…。
とはいえ、毎回誠実に自分に向き合って書いているつもり。
だからそれなりに蘇る。
あの時のあの気持ち。あんな感情。
とっくに過ぎ去ったと思っていたら、その味はまさに舌が記憶しているようだ。
書き残しているからこそ味わえる、当時の自分の内面の動き。
これが一度目の味わい。
そして、過去の自分を味わう〝今の自分〟という存在も忘れてはならない。
〝今の自分〟は、当時よりわずかに年月も経験も重ねている。
その〝今の自分〟が、ほんの少しだけ若かったときの自分が書いた記事を読むと、当時を味わいつつもちょっと距離がある。
へーこんなことを感じていたんだ、今なら違うかな、とか、
あのあと色々あったな、とか。
ゆとりがあるのか、ちょっと上から目線の自分がいたりする。
あるいは、
あの時の自分のほうがよほど真剣だったな、と緩んでいる〝今の自分〟自身を叱咤激励したくなる。
どちらにしても、
記事をきっかけとして、〝今の自分〟の中でなにかがうごめく。
過去の自分が〝今の自分〟を刺激する。
これが二度目の味わい。
そして…
過去の自分と〝今の自分〟との出会いと味わいは、きっとこれからも過去記事を読み直すたびに繰り返される。
つまり、二度以上味わうことになる。
今したためているnote。
それはまさに未来の自分への贈り物なのだ。
この瞬間に出会った、新たな〝今の自分〟をnoteという場にしたためよう。
自分なりに。より一層丁寧に。
それが未来の自分のために今出来ること。
そう思える。