ボーディブローのようにじわじわと効いてくる、完璧に緻密な小説を読んで
先日、【ノーベル賞作家カズオ・イシグロさん 受賞後初の長編小説 発売】というニュースを見て、ぜひ読んでみたいなと興味を持ちました。
「クララとお日さま」の発売にあたってカズオ・イシグロさんがビデオでメッセージを寄せました。
この中でイシグロさんは「語り手のクララは、10代の若者が大人になる手助けのために開発された『人工親友』です。物語の冒頭、クララは店頭に並び、これから自分が出ていく人間の世界を分かろうとします。そして孤独な人間たちに興味を持ち始めます。なぜなら人間の世界に入ったクララの大切な仕事は人の孤独を癒やすことだからです。
新作は『わたしを離さないで』と『日の名残り』の流れをくむものです。ぜひお読みください」などと話しています。
新作は『わたしを離さないで』と『日の名残り』の流れをくむもの‥とのことでしたので、まず『わたしを離さないで』から読んでみることにしました。
読んだ方も多くいらっしゃるかと思いますが(いつも読む時期が大幅に遅れる私‥)この小説に関して(まぁ大抵の小説も)内容を明かしてしまうのは無粋だと思いますので、本筋に触れないでおこうと思います。
とても心動かされる小説でしたのでほんのすこしの感想だけ‥。
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物語は主人公の一人語りの形をとり、緻密な描写が丁寧に重ねられていきます。
最初の1頁目でのわずかな引っ掛かりと戸惑い。
読み進めていくうちに、それがじわじわと滲むように広がり、小さな違和感と気づきが否応無く重なって段々と確信に変わっていく‥。
小説の描写の緻密さは、観察を通して世界を理解しようとする主人公の「切実さ」そのものであるような気がしてなりませんでした。
物語のなかの世界、別の世界のなかの物語に触れることで、自分が生きている現実の世界の歪な形に気づかされる。この世界の曖昧模糊とした暗がりが照らし出され輪郭が見えてくる‥読み終えてそんな実感を持ちました。
インタビューでイシグロさんはこの小説のテーマについてこう仰っておられました。
「人生とは短い」ということを書きたかった。
あらゆる人がいずれ死を迎えます。誰もが避けられない「死」に直面した時に、一体何が重要なのか、というテーマを浮き彫りにしたいと思ったんです。
人生において大切なものとは何か。
ふと浮かんだ答えは、「子供時代の記憶」。
小説の冒頭のやり取りで、こんな風に描かれています。
あの人は、きっとヘールシャムのことをただ聞くだけでは満足できず、自分のこととして――自分の子供時代のこととして――「思い出したかった」のだと思います。
使命の終わりが近いことはわかっていました。ですから、わたしに繰り返し語らせ、心に染み込ませておこうとしたのでしょう。そうすれば、眠れない夜、薬と痛みと疲労で朦朧とした瞬間に、わたしの記憶と自分の記憶の境がぼやけ、一つに交じり合うかもしれないではありませんか。
あの人の介護をしながら、わたしは自分の幸運を思いました。わたしたちがトミー、ルース、わたし、その他の仲間たちが――いかに幸せだったかをしみじみ噛み締めました。 p13
子供時代の記憶が人生において心の拠り所になる。切実にそう感じます。
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小説のラストは(全て振り返って思えば)この結末でしかありえないのですが、それでもなんとも言えない悲しさが残ります。
それは小説のなかの言葉「あなたたちは学んでいるようで、学んでいない」‥知っているつもりで本当にはわかっていないのだ‥ということを突きつけられた悲しみなのかもしれません。
過酷な運命を前に、それでも夢を見る余白がないと人は頑張って生きていくことができない‥。
ささやかな夢、温かな記憶‥過酷な現実のなかでもそれを抱きながら生きていく人生は幸せなものなのかもしれません。
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先ほど『この小説に関して(まぁ大抵の小説も)内容を明かしてしまうのは無粋だと思いますので、本筋に触れないでおこうと思います。とても心動かされる小説でしたのでほんのすこしの感想だけ‥。』と申しましたが、意外にも長くなってしまいましたし、やや本筋に触れているのではないか‥という不安がでてきました。
まぁもともとさほど粋な人間でもなかったということでお許し下さい。
お読みいただきありがとうございました。
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