罪悪感を手放して休むには、休んだ方が結果的にいいと知ること
ここ数日の私のテーマは、“自分がなにを求めているのか気づき、差し出す”でした。
これはもともと設定していたわけではなく、振り返ってみるとそうだったな、という話です。
かつては疲れていることにも気づかず動き続けていた私ですが、だんだん心の声というか、自分の内側から出てくる叫びを受け取れるようになり、罪悪感を手放して心の声を尊重できるようになってきたので、記録していこうと思います。
「疲れているなぁ」と自覚できた
季節の変わり目だからなのか、生理の終わりかけだからなのか、はたまた…
理由はいろいろ考えられますが、ここ数日はとにかく「なんか疲れたなぁ」と感じていました。
朝起きたときのちょっとしたダルさとか、頭がスッキリしない感じとか、「あれやりたい!」という意欲が湧いてこない感じとか。
そういったものから、「今は回復を必要としているんだろうな」と思いました。
これがわかるようになったのは、反対に自分の良い状態もわかるようになったことが大きいと思います。
調子がいいときは、面白いくらい「あれもこれもやりたい!」とエネルギーが湧いてくるし、体力が増えたのか?と錯覚するくらい動けるようになります。
そして、かつての私はその状態を当たり前だと思い込み、それ以外の状態をだめな状態と思っていましたが、今はそう思わなくなりました。
“調子がいいときもあれば、そうでもないときもある”
どの状態も波による一時的な状態であってこれがずっと続くわけではないと思えるようになったことで、
という過ごし方ができるようになりました。
ドラマと読書と睡眠を欲するらしい
「ゆっくりドラマが見た~い」
「本を読みた~い」
「もっと寝ていた~い」
これらが、私の内側から湧き上がってきた感覚がありました(思い込みなのかもしれない)。
頭では「思考メディアの次の投稿をつくるべきでは?」とか「のんびりドラマなんて見ていていいのか?」と思ってしまいますが、心の声は「ドラマを見たい」と言っている。
まずその声に気づけているのが私史上奇跡と言ってもいいくらいのこと!
そして、心の声を封じて頭の声に従って生きてきた結果、心がストライキを起こしたのが適応障害だったと思っているので、今は「封じてなるものか!!」という気持ちで、心の声を尊重することにしています。
というわけで、やったほうがいいのかもしれないあれやこれやを一旦脇に置いて、ドラマを楽しみ、本を読み、満足するまで寝ました。
その甲斐あって、今日は波が上昇している感じがします。
(『相棒』というドラマが大好きで、疲れたなってときは録画した夕方の再放送を夢中になって見ています。真相が明らかになるのもそうですが、「そう考える人もいるのか」と人間理解が深まる作品なだと個人的に思っています。)
罪悪感を手放すには
たくさん寝たりドラマや本に時間を使うのは、サボっているような感覚になります。罪悪感とか、後ろめたさのようなものが付きまとう。
これはきっと、小学生の頃の「遊ぶ前に宿題を終わらせなさい」的な教えが染みついているからだと思います。
でも適応障害と診断された頃はおそらく能の機能が低下していて、なにをしても思い通りにできない感覚がありました。なによりまず、心を回復させることが先だと言われているようでした。
「調子がよくないときになにをやっても進まない」のであれば、まず「調子がいい状態に自分を持っていく」のがいいんじゃないか?
そう思って、実験している今日この頃です。
いつでもそうできるかはわかりませんが、個人的な手応えとしてはまず回復に注力する方が圧倒的にいい未来が待っている気がします(ふわっとしている…)。
風邪をひいているのに休まず動いて10日間体調が悪いのと、3日休んであとの7日間は元気な状態で過ごすのとでは、後者の方が捗りそうだし周りもやりやすいんじゃないかなと思うので、なんのために休息をとるのかを自分の中で明確にできていれば、罪悪感なく回復に努められるんじゃないかなと思いました。
以上が今回の気づきです。
いつでも心の声を尊重できるとは限りませんが、「尊重できているだろうか?」という視点を持てていれば、心と頭のバランスをとれるのだろうと思います。
引き続き、心の声を無視せず生きていきたいと思います。
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