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【感想】映画『青い春』を観た。

はじめまして。
記事を見てくださってありがとうございます。
※ネタバレに配慮しておりません。本編の展開についても書いておりますので未視聴の方はご注意ください。



寒い。
外に出たら金木犀の甘い香りが鼻を撫でて
「あ」
と思ったのは何日前かなあなんて思っていると、今度は
「十年に一度の寒波」
という言葉が耳に入って、カイロを肌着に付けたら、そのまま寝てしまう。
朝起きてヒリヒリと痛む低温やけどの跡を見たそのとき、ようやく冬に目覚めるような毎日を過ごしている人間が好きも嫌いもこの映画にくだすことはできないけれど、そういう人間こそ観るべきなんじゃないのかな、と思う。
とにかくなにか書いておきたいと思わせてくれるようなものだったのは確かだ。

あらすじ

舞台は男子校。
屋上の柵を掴んだまま外側に立ち、その柵から手を離している間どれだけ手を叩けるか、という通称ベランダ・ゲームで学校を仕切る人間を決める。失敗すれば校庭に真っ逆さま、そんな馬鹿な火遊びを不良グループがやっていて、そのなかにこのものがたりの主人公的存在、九條も混じっている。一見物静かな九條がこのゲームで勝ち学校の番長となるがそういうことに九條は興味が無い。九條の友人、青木はそんな九條に嫉妬と憧れと疑問を抱く。
それぞれの登場人物が高校最後の一年でどうしていくのか、どういう結末を迎えるのか淡々と描かれていく。



本編は『青い春』とあるように、青くささ全開。
アウトローな雰囲気と共に若者の様々な心理を巧みに表現している。衝動や欲望、それらは一切の曖昧さを孕んでいないので、過激なシーンも多い。
青春期特有の一瞬の感情の高まりとどうすることもできない虚無感、ぼんやりとして薄暗くそんなふうに見える世界、そんな世界に飲み込まれていく人間と、それらとは対照的な松田龍平演じる九條の妖しい美しさと得体の知れなさ、時々流れる叫ぶような歌声とギター、エトセトラがないまぜになって不思議な映画に仕上がっている。
大人になればなんだと軽く思えるようなものも青春期であれば大問題で、やはり真正面から向かっていくしかない。そのうちに大人の工夫というものを学んでいく。早いものは高校生のうちからそれらをはやく吸収しサナギになり羽化して立派な大人になるであろう。
だがこの映画で強くスポットライトを当てられている人間でそういう者は一人もいない。その兆しもない。青春の陽ばかりに光を当てる映画も数多くあるわけだが、この映画にそんなものはない。

常に危うげで、綱渡りをしているような、それこそ一歩踏み外したら終わりだというのを自覚せず各人各様の道を進む登場人物たちをただ眺めている。目が離せない。


この映画を観ていると何回か
「あ」
と思う場面がある。


興味のない人間がつまらない話を口から垂れ流している。
頭の中でとてつもなく激しく音楽が吹き荒れる。時間が経っても音量は増すばかりで、もうどうすることもできない。その人間が自分に指図する。
鳴り響くこの音楽が現実に流れているんじゃないかと錯覚するほどに音楽が脳を支配する。
私はつい現実で感じた激情を登場人物の心の動きに重ねてしまって、次の瞬間どういうことが起こるのか、大体わかってしまう。そのつまらない話を黙って聞いていた人物は刃物を取り出して…
その瞬間、私は「あ…」と思う。
すぐそばに白線があって、それを越えたら
こうなるんだ、こうなってしまうんだ、と。

いろいろな人物がそれぞれの道を歩かざるを得なくなることが描写されていくなか、こんな場面もある。
九條は成り行きから育てることになった花に水をやりながら、
そこへやってきた先生に
「咲かない花もあるんじゃないですか」と投げかける。
けれど先生は
「花は咲くものです。枯れるものじゃない。私はそう思うことにしてます。それは大切なことです」とこたえる。
はっきりと、私もそれは大切なことだなと思った。
意思がなくてどうして生きていられるだろうな。


手に持ったボールを黒く塗りつぶす。ボールを真っ黒にするとやがて手も黒く塗り始める。片付けもされずに広い教室で一人、ふと声をかけられて顔を上げると乾いた笑い声を響かせるだけ。
九條の友人であったはずの青木は九條とのすれ違いで、それまでよりエスカレートした残虐な行為に手を染めていく。

ついに手をも真っ黒に染め上げた青木は一日中屋上に立って動かない。

わかる、と安易に言えない心理なのは明らかなのに、私にはわかるような気がした。
違うかもしれない、が、全部、ぜんぶ経験したことがある。やりたいことはこれじゃないのにとりあえず何かをやっていないと気が狂いそうだ。面白くもないのにちょっと笑ってみる。すでに正気ではないのかもしれないがまだ狂気の園を走り回っていることはない。身体が動かないし、動かなくなってしまえばいいし、
「ああ、」と思う。
そんな馬鹿なことはやめて、今すぐ生活に戻ってみないか。もはやそんな声かけをする人間は周りにいないし、そんなことをしたとて無駄だ。
その先に青木を待つものがなにかはもうわかる。
朝になって九條が登校して門をくぐると、青木が一人で例のベランダ・ゲームをやっているのが見えて、九條はすぐさま駆け出す。花が咲く。


灰色の世界に見切りをつけ、鮮やかに色づく脳内を選んでしまう人間も世の中にはたくさんいるだろう。私にはそういう人たちを馬鹿にできる権利なんて絶対持っていない。けれどそれはその環境が到底与えうることのできないものを求めてしまったりして、生き急いだ人間が行き着いてしまうところだと思うのだ。
悪いとは言わない。言えないが、それよりかは、いつか予想だにしなかった日が来るかもしれないとの思いをそっと胸に抱いて、とりあえず今日一日はきちんと生き抜いてみようとするのが大切なんだなと、本編の内容とはまるで逆のような感想を持ってしまった。勝手にいろいろなものを拒絶するのは、もううんざりだと思っているからかもしれない。
青いまま私の前から姿を消す登場人物たち。見事に花を咲かせて私の前からいなくなってしまう者達。私はまた灰色の現実に、薄寒い冬の布団の上にぽつんと取り残されてしまった。

けれど私は生きているし、幸福なことに美味しいものを食べようとすれば食べられるし、生きているからまだ憧れのあの人をこの目で見られるかもしれない。夢にも思わなかったことがいつかこの人生に起きるかもしれない。
そういう希望を持つことを私は許されている。

そんなことを真面目に考えてしまう映画だった。

映画館で大仰に見るよりも一人でひっそりとこの映画を観られたのは良かった。ベタな青春映画もこの世には星の数ほどあって、その中にはもちろん傑作もあるだろう。泣いて笑って…この映画はそんなものではないが、一瞬の煌めきが何かを成し遂げる、という物語をとても印象的に描いていて、私のような人間の心を抉り取っていった。

人によって感じ方の幅の大きい映画だとは思うが、
つまりそれは駄作ではない。

おすすめの映画です。

ここまで読んでくださった方があればとても嬉しいです。
ありがとうございました。

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