コンドルは絵を描いたか【ナスカの宇宙人】
うとうとしていた。
もうすぐナスカにつくころだ。
私は、約1ヶ月ペルー各地を廻って、首都リマに戻ってきた。
非常事態宣言下のペルーを廻り、不思議な出会い、貴重な経験が数多くあったが、疲れも相当たまっているようだった。
リマでは、数日間何もせずゆっくり体を休めようと思っていたが、マチュピチュで出会ったアメリカ人旅行者が言った「ナスカ地上絵は見るべきだ」との言葉を思い出し、ホテルのツアーデスクで、ツアーを申し込んでいた。
ナスカ地上絵ツアー出発場所のリマの空港にタクシーで乗りつけた。
空港は広く、無機質な色の建物とフェンスで囲まれ、空もグレーの雲が覆い警備の軍人や警察も怖そうに立っていた。
非常事態宣言下ということもあり、少し重苦しい緊張感のある空港だった。
リマの空港からは30人乗りくらいの小型ジェット機だった気がする。
ナスカに近いイカの空港まで40分ほどのフライトだっただろうか。
リマの空港を飛び立ち、上空は濃いグレーの雲で、時々、小さな雷が鳴り、小雨もふりだした。小雨というよりも霧雨で、薄暗く視界は悪くなった。
寝ていたのだろうか、長い間、濃いグレーの中を飛んでいるようだった。
夢を見ていたのかもしれない。
突然、光とともに大きな雷鳴が轟いた。ほぼ同時だったので、すぐ近くだったようだ。いや、飛行機を直撃したのではないだろうか。。。
飛行機は下降を始めた。
落雷の直撃をうけて、墜落するのかと思ったが、飛行機は、無事イカの空港に着いた。
数分前の落雷と雨嵐は嘘のように、イカの空港は晴れだった。
イカの空港で、小型プロペラ機に乗り換えることになっていた。
10人ほどで満席になるような小さな飛行機だった。
出発前、空港の隅に一羽のコンドルがいた。
私は凄いと思い、すぐに駆け寄った。
飼い慣らされているようで、人が近づいても逃げない。
しばらくコンドルを見ていると飼育係の男性が来て、写真を撮れとかいろいろと説明もしてくれた。
かなり長くコンドルといたのだろうか、小型プロペラ機の出発時間が過ぎていた。ツアーの係の人が血相を変えて私を呼びにきた。
疲れと旅の高揚感で少し注意散漫になっていたのかもしれなかった。
ナスカ遊覧飛行機「コンドル号」に乗れなくなるところだった。
私は、飼育係の人にチップをあげようともっていた5ドル札をにぎりしめ、小型プロペラ機に走った。
私以外のツアー客は既に着席していた。窓際の席は全て埋まっていた。
私が最後の空席に座ると、すぐに小型プロペラ機は動き出した。
窓の外には、飛ばないコンドルとチップをもらい損ねた飼育員が見えた。
「コンドル号」は、ところどころに小高い丘や低木がある砂漠化しつつあるような地形の上を飛んだ。
どのくらい飛んだのだろうか、私は、うとうとしていた。
突然、小高い丘の陰から「宇宙人」が現れた。
小型機は旋回し、パイロットが説明し始めた。
ナスカ地上絵について、離陸前から飛行中も、いろいろと説明をしていたようだが、私は、ほとんど聞いていなかった。
うとうとしていて、半ば、夢の中の状態だった。
宇宙人の出現により、私は、目が覚めた。
すっきりしっかり目が覚め、興奮気味に、カメラを構えた。
目が覚めているのに夢中になってシャッターボタンを押した。
その勢いに押されたのか、隣のフランス人のおばさんが、窓際の席を譲ってくれ、私は、より窓に近い場所から、夢中で何枚も写真を撮った。
宇宙人の次は、ハチドリが出現した。
私は、夢中になって、必死にカメラを構えて、たくさんの写真を撮った。
小型飛行機は、何度も、旋回した。パイロットは、いろいろな方向から回り込んでよく見えるように操縦してくれた。
サル、犬、鳥、などいくつもの地上絵のある大地の上を飛びまわり、不思議な絵、風景を見た。コンドルの絵もあったと思う。
見れば見るほど、不思議に思える。
なぜ、この荒れ果てた砂漠化している場所に、こんな絵があるのだろうか。
いつ、誰が、何の目的で、描いたのだろうか。
まだまだ調査研究途中で、未知のことが多いようだが、少なくとも相当古い時代、飛行機などない時に、なぜ、上空からしか見えない、全体像を認識できないものを描いたのか、描くことができたのかということがまず第一の最大の疑問である。
宇宙人の絵は、小さい丘というか岩山の斜面にあるので、地上から見ることはできるが、それ以外の、砂漠化した石がゴロゴロした平面な地面に描かれたハチドリやコンドルなどは、上空から見ない限り、全体像を確認できない。
これは、どう考えても、上空から見るために描かれたとしか思えない。
となると、その頃、上空から見る手段があったのだろうか。
飛行機の発明から相当昔の話であろう。飛行機がないとすると、空を飛ぶのは、ハチドリかコンドルか。。。
ハチドリやコンドルは、飛ぶことができるが、その昔は、絵を描く能力もあったのではないだろうか。そうだ、そうに違いない。
夢見ごこちの興奮した素人考古学者は、とんでもない仮説を編み出した。
イカの街を散策しているとハチドリが花の蜜を飲んでいるのを観た。
小さな動物なのだが、それが、相当な早さで羽を動かして、空中でホバリングして、花びらの中に針のようなくちばしをのばして、蜜を吸っているようだった。
現代の最先端科学技術をもってしても、同じ大きさの空飛ぶ、そして、ホバリングする鳥型ロボットを作ることはできないのではないか。
ハチドリ自体が、今も昔も凄い飛行能力を持つ動物なのだ。
今、ハチドリは、飛ぶこと、ホバリングすること、蜜を吸うことしか、人類としては目にしていないが、実は、絵を描くことができるのではないだろうか。今はしなくても、かつて、相当昔には、地上絵を描く、自らの絵を大地に描く能力を発揮していたのではないだろうか。そう、私は考えた。
コンドルも同じで、今は、アンデスの山々の上を飛んでいる姿しか、人間は見ていないが、かつては、飛ぶこと以外にも、大地に絵を描くことをしていたのではないのだろうか。使わなくなった能力は、なくなってしまっただけなのではないだろうか。
イカの空港の隅には、飛ぶこともしなくなった人間に飼育されているコンドルがいた。あのコンドルは、飛ばなくても、餌をもらえるため、空港の隅で観光用ふれあい展示ブツになっているが、もしかすると、絵を描くことを教えると、かつての能力が蘇るのではないだろうか、そんなことまでも考えていた。
宇宙人はどうだろうか。
岩に描かれた宇宙人は、そもそも、宇宙人ではないかもしれない。
人類、その昔の人間かもしれない。彼らが、自らの絵を描いたのか、それとも、空を飛ぶモノを作る能力があって、それに、乗って、上空から見るために描いたのかもしれない。
もしくは、地球外からやってきた人型の存在が、自らの絵を描いたのかもしれない。となると、やはり、宇宙人の絵というネーミングで今のところはいいのであろうか。
いやいや、宇宙人はコンドル、コンドルが宇宙人だったかもしれないと、わけのわからないことまで考えていた。
素人の訳のわからない想像、仮説で、とりとめのないことになってしまった。
と、いろいろと次から次へとわいてくる疑問ととりとめのない仮説を考えながら、小型プロペラ機の窓から、不思議な絵、興味深い風景を夢中になって、写真を撮っていた。
うとうとしていた。
小型ジェット機は、日没間近のリマの空港に着陸した。
何か不思議な夢のようなナスカ地上絵ツアーだったと思った。
いや、すべてが、夢だったのかもしれない。
【夢のナスカツアーの記憶 追記】
2002年非常事態宣言が発令された頃、ペルーを旅した。
その頃、ペルーでは、経済政策に不満を持つ国民が各地でデモや交通機関妨害などを行い、大統領は非常事態宣言を発令した。
観光地は比較的平穏で多くの旅行者が国内外から来ていた。
私は、多くの有名観光地を訪れたが、ナスカ地上絵は、それほど、関心は高くなかった。
それでも、ペルー旅の最終盤に、疲れてはいたが、ナスカ地上絵ツアーに
行くことにした。マチュピチュで出会ったアメリカ人のアドバイスに従って良かったと思った。
マチュピチュは、一時期、日本人観光客が行きたいベスト1の世界遺産に選ばれたことがあると記憶しているが、私にとっては、マチュピチュよりも
ナスカ地上絵の方がランクは高い。
ナスカ地上絵ツアーから戻ったリマの空港は、雨は降っていなかったが、薄暗いリマの空港から中心街のホテルに戻るのは少し怖かった。
非常事態宣言下のリマ市内には、銃を持った軍人や警察官がいたるところに立っていた。
2002年のペルーは、非常事態宣言が出されたばかりで、少し怖さもあったが、兵隊さんや警察官が通常よりも多く要所要所にいたので、逆に、治安が良かったような気がする。
あの時から20年以上経ったが、ペルーの治安や旅行状況はどうだろうか。
また近いうちに、ナスカやマチュピチュなどを訪れてみたい。
【夢の中ナスカ地上絵 追記その2】
最近、北アメリカ大陸で1947年に起きた「ロズウェル事件」について、新たな証言が出てきたというようなことを聞いた。米軍基地でUFOが墜落し宇宙人がいたとか、それ自体が、嘘だとか作り話だとかで、ミステリーで隠されたことが多い事件だが、その事件の新事実の要素とナスカの地上絵の事象が、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
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