ザ・ギフトデイ


10年前、わたしは友達がいなかった。

少なくとも当時のわたしはそう思っていたし、ひとりでどうしようもない孤独と寂しさを抱えながら高校3年間を過ごした。

家族のように信じていた人たちに、ある日突然無視されるようになって、理由を聞いても、教えてくれなくて。
悪いところがあったら直すからと言っても、最初から友だちじゃなかっただけと言われた。

その時に、ああ、もう無理なんだなと悟った。あれだけ一緒に笑っていたのに、どうして。

だから10年前、わたしは友達がいなかったと思っていた。

でもそれはどうやら違っていたようで、10年経った今、いろんな人たちが連絡をくれる。

前述の家族のように思っていた人たち、ではなかったけれど、当時出会った同級生たちが揃いも揃ってバラバラに連絡をくれるのである。

何が起きているのか自分でも分からないけれど、どうやら私にとって今年はそういう年らしい。
もう20名近くの懐かしい人たちに会った。しかもみんな一緒じゃなくて割とバラバラに。

今日は10年ぶりに会った友だちとレストランで食事をしてからカフェに行った。

中学と高校が一緒だけど、決して親友と呼べるような仲ではなかったように思う。

けれど私は彼女のことを信頼していた。
人間不信になってしまったあの日から、ただ辛い時に、1回だけだけれど、近くに誰もいない時を見計らって、声をかけてくれた。

なにもできなくてごめん、一緒に帰ろうと言ってくれたことを私はずっと覚えていてた。
何を話したかは覚えてないけど、とても有難い気持ちと素直にそれを受け取れずに俯きながら並んで歩いたのを覚えている。

話しかけたら自分だって無事で済むか分からないのに。あんなに狭く感じられた閉塞的な世界の中で。

彼女の精一杯の優しさが嬉しくて、ありがたくて。なんて芯のある人なんだろうと思った。

それでも、一緒にいたら彼女の為にならないと思って。そのあと、わたしは1人でいることを決めた。

それから十数年の時を経て、今日。彼女にあなたのおかげでわたしの今がある、ありがとうと言われた。

むかし進路で悩んでいた彼女に、学校説明会に一緒に行こうと誘ったらしい。私が。
正直、全然覚えていなかった。
学業の成績で絶望していた彼女にとっては、私から聞いた学校の話が唯一の希望に思えたようだ。

その話を聞けて嬉しかった。そして自分がとても情けなかった。

わたしは彼女に感謝されるほどのことをしてあげられていないのに。
そんなことしてあげた記憶すらないのに。

でも、今日。彼女はわたしの前で本当にホントに今までみたことないくらい幸せそうに話して笑ってくれていて、たまらなく嬉しかった。

過去に彼女の置かれていた環境のことを思えば、尚更。

この先、わたしもいつか彼女にもらった分以上の
優しさを、温かさをあげられる人間になれるだろうか。

すごく嬉しくてありがたくて情けなかった。涙が出そうになる。

帰り道、少し歩きたくて家から少し離れた場所でバスを降りた。

少しだけ泣いた。最近は嬉しいことも少しだけ悲しいこともあって、もどかしい日々もあるけれど。
この人生も悪くはないよなと心の底から思えた日だった。

今思えば、あの出来事があってから私は人間を簡単に信用できなくなったけれど、1人でいることにある程度は耐えられるようになった。

友だちを作れるように、自分の悲しい感情を忘れられるように、ひたすら新しく出会った人の悩みを聞いて、ひたすら相談に乗って、恋バナをきいて全力で応援した。正直恋愛は得意じゃないから、力になれたことは一度だってなかったと思うけれど。

そうやって自分の気持ちを忘れられるように、必死に生きてみた。劣等感と悲しみが消えたのは、大学に進学してからだった。
全てではないけど、本音を言えるひとたちに、信頼できる人たちに出会えたから。

不思議なことに今になって、そうやって色んな人と関わってきたからか、連絡が来るようになった。

今思えば、わたしの高校生活も案外悪くなかったのかもしれない。そう思えるのはこうやって声をかけてくれる人たちがいるから。

そして、目の前でわたしといる時間を心底楽しそうにしてくれる人たちがいるからだ。

今日は本当に嬉しかった。悔しさも情けなさもあるけれど、少なくともわたしは彼女に出会えて幸福な人間だと思う。

もっと頑張ろう。いつか自分と誰かを心の底から幸せにできるまで。

まるで、目に見えない宝物をもらったような気分だ。

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